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フランシス・コールフィールド (第2代チャールモント伯爵)

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フランシス・コールフィールド (第2代チャールモント伯爵)
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第2代チャールモント伯爵フランシス・ウィリアム・コールフィールド英語: Francis William Caulfeild, 2nd Earl of Charlemont KP PC (Ire)1775年1月3日1863年12月26日)は、アイルランド王国出身の政治家、貴族。ホイッグ党所属[1]

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1800年3月に出版された、フランシス・コールフィールドの画像。

生涯

初代チャールモント伯爵ジェームズ・コールフィールドとメアリー・ヒックマン(Mary Hickman、1807年4月没、トマス・ヒックマンの娘)の息子として、1775年1月3日に生まれた[1]ダブリン大学トリニティ・カレッジで教育を受け、1794年にB.A.の学位を修得した[1]

1797年にチャールモント選挙区英語版アーマー・カウンティ選挙区英語版アイルランド庶民院議員に当選、アーマー・カウンティ選挙区の代表として議員を務めた[2]。1799年8月4日に父が死去すると、チャールモント伯爵位を継承、1806年から1863年までアイルランド貴族代表議員を務めた[1]

1831年10月19日に聖パトリック勲章を授与され、1832年2月13日にアイルランド枢密院英語版の枢密顧問官に任命された[1]。1837年2月13日に連合王国貴族であるアーマー県におけるチャールモントのチャールモント男爵に叙されたが、アイルランド貴族代表議員は終身制であるため、以降もチャールモント男爵としてではなくアイルランド貴族のチャールモント伯爵として貴族院議員を務めた[1]。1839年にティロン統監に、1841年にティロン首席治安判事英語版に任命され、いずれも死去まで務めた[1]

1863年12月26日にダブリン近郊のマリノ英語版で死去した[1]。息子に先立たれたため、チャールモント伯爵位は弟ジェームズ・モリニューが継承した[1]。1837年創設のチャールモント男爵位には初代男爵の男系男子が断絶した場合に弟ジェームズ・モリニューに継承権を与えるという特別残余権(special remainder)があったため、同じくジェームズ・モリニューが継承した[1]

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家族

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チャールモント伯爵夫人アンと長男ジェームズ。トーマス・ローレンス作、1805年頃。

1802年2月9日、アン・バーミンガム英語版Anne Bermingham、1780年頃 – 1876年11月23日、ウィリアム・バーミンガムの娘)と結婚[1]、2男2女をもうけた[3]

  • ジェームズ・ウィリアム(1803年8月 – 1823年1月13日) - コールフィールド子爵の儀礼称号を使用。1822年4月25日にオックスフォード大学クライスト・チャーチに入学したが、その9か月後にフランスで生涯未婚のまま死去した[1]
  • ウィリアム・フランシス(1805年 – 1807年)
  • マリア・メロジーナ(1807年1月 – 1827年3月4日)
  • エミリー・シャーロット(1808年 – 1829年10月)

出典

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