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フリオ・エリセギ

スペインのサッカー選手 ウィキペディアから

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フリオ・アントニオ・エリセギ・カンスJulio Antonio Elícegui Cans1910年12月5日 - 2001年8月31日)は、スペインカステホン出身の元サッカー選手。ポジションはFW

概要 フリオ・エリセギ, 名前 ...
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クラブ経歴

1930-31シーズン、レアル・ウニオンでプロデビューし、1932-33シーズンはセグンダ・ディビシオンで30ゴールを挙げて得点王に輝いた。1933年、同じくセグンダに在籍していたアトレティコ・マドリード (当時はアスレティック・マドリード)に移籍し、加入1年目のシーズンはリーグ戦15ゴールを挙げた。

1936年7月から開戦したスペイン内戦の影響でリーグ戦が中断した後、1938年にデポルティーボ・アラベスへ加入した。翌年からはアトレティコ・アビアシオンへと改名した古巣アトレティコ・マドリードに1シーズンのみ在籍し、リカルド・サモラ監督の下、クラブは初のラ・リーガ優勝を果たし、エリセギも10得点を記録した。

1940年、セグンダ・ディビシオンのデポルティーボ・ラ・コルーニャに移籍した。デポルティーボでは、1シーズン目からレギュラーとして活躍し、リーグ戦18試合で26得点を挙げて、自身2度目となるセグンダ得点王を獲得。クラブもラ・リーガ昇格を達成した。1943-44シーズンは、当時はアマチュアリーグだったテルセーラ・ディビシオンヒムナスティック・タラゴナに在籍し、1シーズンを過ごしたが、膝の怪我もあって同シーズン終了後に33歳で現役を引退した[1][2]

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代表経歴

1933年4月2日、ポルトガル代表との親善試合でスペイン代表デビューを果たすと、デビュー戦ながら2ゴールを挙げた。同年5月21日のブルガリア代表戦ではハットトリックも記録した[3]

代表ゴール

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タイトル

クラブ

アトレティコ・アビアシオン

個人

脚注

外部リンク

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