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フリードリヒ・クリスティアン (ザクセン選帝侯)
ザクセン選帝侯 ウィキペディアから
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フリードリヒ・クリスティアン(Friedrich Christian, 1722年9月5日 - 1763年12月17日)は、ザクセン選帝侯(在位:1763年)。フリードリヒ・アウグスト2世(ポーランド王アウグスト3世)と神聖ローマ皇帝ヨーゼフ1世の皇女マリア・ヨーゼファの三男で、全名はフリードリヒ・クリスティアン・レオポルト・ヨハン・ゲオルク・フランツ・クサーヴァー(Friedrich Christian Leopold Johann Georg Franz Xaver)。
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生涯
生まれつき病弱で、片足が不自由だったため車椅子を使っていた。母マリア・ヨーゼファはフリードリヒ・クリスティアンよりその弟たちに選帝侯位を継がせようとしたが、結局1763年10月5日にフリードリヒ・アウグスト2世が死去すると、フリードリヒ・クリスティアンが選帝侯位に即いた。即位してすぐ、ザクセンの財政を破綻させ、国を七年戦争に巻き込んだ不人気な大臣ハインリヒ・フォン・ブリュール伯爵を解任した。ハインリヒは10月に亡くなったが、フリードリヒ・クリスティアンも天然痘に罹り、同年12月17日にドレスデンで急死した。フリードリヒ・クリスティアンの遺体はドレスデン宮廷教会に葬られた。長男のフリードリヒ・アウグスト3世が選帝侯位を嗣いだが、13歳と年少のため、王妃のマリア・アントーニアとフリードリヒ・クリスティアンの弟フランツ・クサーヴァーが摂政を務めた。
子女
1747年に従妹にあたる神聖ローマ皇帝兼バイエルン選帝侯カール7世の皇女マリア・アントーニア(1724年 - 1780年)と結婚し、以下の子供をもうけた。
- 子(1748年6月9日、誕生後すぐに死去)
- フリードリヒ・アウグスト1世(1750年 - 1827年)、ザクセン選帝侯、後にザクセン王、ワルシャワ公
- カール(1752年 - 1781年)
- ヨーゼフ(1754年 - 1763年)
- アントン(1755年 - 1836年)、ザクセン王
- マリア・アマーリア(1757年 - 1831年)、プファルツ=ツヴァイブリュッケン公カール3世アウグスト妃
- マクシミリアン(1759年 - 1838年)
- マリア・アンナ(1761年 - 1820年)
- 子(1762年、死産)
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