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ブジュンブラ
ブルンジの首都 ウィキペディアから
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ブジュンブラ(Bujumbura)は、タンガニーカ湖の北東岸に面したブルンジ最大の都市。
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都市の規模


ブルンジの独立以降、ブジュンブラは長らく首都であったが、2019年1月16日にギテガへ遷都された[3]。一方で、2019年2月4日に、ブルンジにおける「経済の首都」に定められた[4]。ブルンジ最大の都市で、人口は497,166人(2008年国勢調査)、521,316人(2010年推計)を数えた[5]。人口増加率が非常に高く、1990年に実施された前回の国勢調査と比較すると、2008年の国勢調査では年率+4.24パーセントの増加であり、国内では最も高かった[6]。今後も高い増加率を維持し続けるだろうと推定されており、2050年には1,251,636人に達すると予測されている[7]。
産業
ブジュンブラ国際空港が開港され、また、タンガニーカ湖を利用した航路も開設されている。
ただブルンジ自体は、コーヒー豆と紅茶の輸出が主要産業である。
歴史
ドイツによる植民地化以前は小さな村だったが、ドイツ領東アフリカの軍事拠点となって以降、急速に発展した。
第一次世界大戦後は、ベルギー領ルアンダ=ウルンディの首都とされた。ウスンブラという名称だったが、1962年にブルンジ王国が独立したのと同時に、市名がブジュンブラに変えられた。1966年には政治体制が共和制に変わった。しかし少数派のツチ族による、フツ族への支配に不満が噴出し、1972年には大規模なフツ族による反乱で、報復の連鎖に陥った。クーデターも繰り返されてきた。1993年にはフツ族出身の大統領を、ツチ族が殺害して内戦に陥った。1994年にも大統領が殺害され、さらにルワンダ内戦の影響で、北方のルワンダからフツ族の難民が流入し、さらに両者は対立していった。1996年に発生したツチ族によるクーデターで、ツチ族出身の軍人が大統領に就任した。ひとまず2000年に和平協定が結ばれ、2001年にツチ族とフツ族の暫定政府が発足した。ただブルンジでの内戦が終結したのは2006年であった。
地勢
ブジュンブラ付近は標高800 m近い場所だが、アフリカ大地溝帯の直上でもあり、時折、地震も発生する。
気候
要約
視点
ケッペンの気候区分でブジュンブラ付近の気候は、サバナ気候(Aw)に分類される。
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出典
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