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プロテオーム解析

特に構造と機能を対象とした、タンパク質の大規模な研究 ウィキペディアから

プロテオーム解析
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プロテオーム解析(プロテオームかいせき、Proteomic analysis)、またはプロテオミクス(Proteomics)は、特に構造と機能を対象としたタンパク質の大規模な研究のことである[1][2]。タンパク質は細胞代謝経路の重要な構成要素として生物にとって必須の物質である。「プロテオミクス」という言葉は、タンパク質を意味する英語「プロテイン(protein)」に「全て」を意味する接尾辞"ome"、「学問」を意味する接尾辞"ics"を合わせて作られた。ゲノムがある生物の持つ全ての遺伝子のセットを表すのに対して、プロテオームはある生物が持つ全てのタンパク質のセット、またはある細胞がある瞬間に発現している全てのタンパク質のセットを意味する。

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二次元電気泳動で分けられたタンパク質

プロテオミクスは、ゲノミクスの次にシステム生物学の中心になる学問分野だと考えられている。ゲノムがある生物の全ての細胞でほぼ均一なのに対して、プロテオームは細胞や時間ごとに異なっているため、プロテオミクスはゲノミクスよりもかなり複雑になる。同じ生物でも、異なった組織、異なった時間、異なった環境ではかなり異なったタンパク質発現をする。また、タンパク質自体が遺伝子と較べて遥かに多様であることもプロテオーム解析を難しくしている理由の一つである。例えば、ヒトのタンパク質をコードする遺伝子数は約1.9万と推定されているが[3]、これらの遺伝子から生成されるタンパク質の多様体(アイソフォーム、翻訳後修飾体など)である「プロテオフォーム」は100万個以上に及ぶ可能性がある[4]。このような多様性が生じる原因は、選択的スプライシングや翻訳後修飾、タンパク質の分解などである。

プロテオミクスはその生物についてゲノミクスよりも多くの情報を与えるため、科学者たちはこれにとても興味を抱いている。一つ目に、遺伝子の転写レベルからはタンパク質の発現レベルの非常に大まかな情報しか分からない。例え伝令RNAの作られる量が多くても、分解が早かったり翻訳が効率的に行われなかったりするとタンパク質の量は少なくなる。二つ目に、多くのタンパク質は翻訳後修飾を受け、その活性にも影響を受ける。例えば、リン酸化を受けるまで活性状態にならないタンパク質もある。三つ目に、選択的スプライシングや選択的翻訳後修飾により、1つの遺伝子が1つ以上のタンパク質を作り出すことがある。四つ目に、多くのタンパク質は他のタンパク質やRNAと複合体を形成し、機能を発揮することがある。

タンパク質は生物の生命活動の中心的な役割を果たす上に、疾患があると発現するタンパク質がしばしば変化するため、プロテオミクスは、ある種の病気の存在を明らかにするなど生体指標の道具として有用な場合がある。

ヒトゲノム計画の大まかなドラフトが公表されると、多くの科学者は遺伝子とタンパク質がどのように他のタンパク質を作り出しているのかを探求するようになった。ヒトゲノム計画で明らかとなった驚くべきことの一つは、タンパク質をコードしている遺伝子の数がヒトの持つタンパク質の数と較べて遥かに少ないことである。この矛盾はタンパク質の多様性はゲノム解析だけでは分からず、プロテオーム解析が細胞や組織を理解する上で有効な手段となりうることを示唆している。

ヒトの持つ全てのタンパク質をカタログ化するために、タンパク質の機能と相互作用が調べられている。国際的な研究の調整はヒトプロテオーム機構(HUPO)が行っており、同組織が提唱するガイドラインが広く利用されている[5]

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プロテオミクスの研究手法

プロテオーム解析には様々な技術が用いられる。

タンパク質の分離と同定

プロテオームを解析するためには、通常はまずタンパク質試料を個々のタンパク質に分離する。よく使われる手法の一つは二次元電気泳動であり、タンパク質を等電点と分子量によって分離する方法である。ゲル上に現れたタンパク質のスポットは化学染色や蛍光染色によって可視化され、それぞれのスポットはゲルから切り出され、プロテアーゼによってペプチドに消化され、質量分析法によって同定される。

現在のプロテオーム解析は、液体クロマトグラフィー(LC)と質量分析計を組み合わせたLC-MS/MSが主流である。 タンパク質の混合物を消化して得たペプチド混合物を、高速液体クロマトグラフィー(HPLC)で分離し、直接質量分析装置に導入する。

質量分析によるデータ取得には、主に以下の手法がある。

  • データ依存取得(DDA: Data-Dependent Acquisition):クロマトグラム上で検出強度の高いイオンを上位から選択し、自動的に断片化して配列情報を取得する手法。
  • データ非依存取得(DIA: Data-Independent Acquisition):ペプチドイオンの質量範囲を一定の幅(ウィンドウ)に区切り、そのウィンドウに含まれる全てのイオンを網羅的に断片化・取得する手法。DIAは高い再現性と定量精度を持ち、最近ではdiaPASEF[6]のような、イオンモビリティと組み合わせた高感度・高速な手法が広く用いられている。

定量プロテオミクス

定量プロテオミクスでは、単なるタンパク質のリスト以上に、機能的な情報やプロテオームの経時変化などを明らかにする。タンパク質の定量には、以下のような手法が用いられる。

  • 同位体ラベル法:安定同位体で標識した試薬でペプチドを化学的に修飾し、異なるサンプルを混合して一斉に分析する。TMTpro 18-plex[7]などの多重化タグが広く使われ、多数のサンプルを同時に比較することが可能になった。
  • ラベルフリー法:同位体ラベルを使用せず、LC-MS/MSの各ピークのシグナル強度や面積からタンパク質の量を算出する。特にDIA法では、高い再現性で精密な定量が可能となっている。
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応用と研究分野の拡大

相互作用・機能プロテオミクス

  • 近接標識法(Proximity Labeling):生細胞内で特定のタンパク質のごく近傍にある他のタンパク質を酵素反応で網羅的に標識し、質量分析で同定する。BioIDAPEXなどが代表的である。
  • 熱プロテオームプロファイリング(TPP: Thermal Proteome Profiling):タンパク質の熱安定性の変化を利用して、薬剤と結合する標的タンパク質やそのオフターゲットを網羅的に同定する。CETSAはその代表例である。
  • ケモプロテオミクス(Chemoproteomics):低分子化合物を用いて、タンパク質の特定の機能や反応性を有する部位を網羅的に同定する。特に活性部位プロファイリング(ABPP: Activity-Based Protein Profiling)は、酵素の活性部位を捉え、ドラッグデザインに貢献する。

構造プロテオミクスとAI

構造プロテオミクスでは、タンパク質の三次元構造を効率的に決定することを目指す。X線回折や核磁気共鳴分光法が主要な手法だが、近年では計算科学との融合が著しい。

2024年に発表されたAlphaFold 3[8]は、タンパク質だけでなく、タンパク質と核酸、リガンド、イオンなどの複合体構造を高精度で予測できるようになった。これは、質量分析による構造解析(クロスリンク質量分析やHDX-MSなど)と組み合わせることで、タンパク質の機能や相互作用の解釈力を飛躍的に向上させている。

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新たなプロテオミクスの潮流

単一細胞プロテオミクス(SCP)

従来、プロテオミクスは多数の細胞の集合体(バルクサンプル)を対象としていたが、近年は単一細胞レベルでのタンパク質定量が可能になってきた。SCoPE2[9]nPOP[10]などの前処理・多重化手法と、DIAやdiaPASEFのような高感度な質量分析技術の進歩により、1つの細胞から数千種類のタンパク質を定量できるようになっている。この技術は、細胞間の不均一性や希少細胞集団の解析に革命をもたらしている。

空間プロテオミクス

組織中のタンパク質がどこに、どれだけ存在するかを可視化する研究も進んでいる。

  • MALDIイメージング質量分析(MALDI-IMS):組織切片上の各点から質量スペクトルを取得し、特定の分子の空間分布をマッピングする。
  • Imaging Mass Cytometry(IMC):金属標識した抗体を用いて、組織中の数十種類のタンパク質を同時に高解像度で可視化する。これにより、細胞の免疫表現型や代謝・タンパク質の空間的な関係性を詳細に解析できる。

臨床応用とバイオマーカー

プロテオームや個々のタンパク質の構造や機能、またタンパク質間相互作用の複雑さを理解することは、より効率的な診断手法や治療法を開発する上で不可欠となる。プロテオミクスの成果の興味深い利用法として、特定のタンパク質を診断の際の生体指標(バイオマーカー)として用いることが挙げられる。

アルツハイマー病

アルツハイマー病の診断では、長らくアミロイドβやタウタンパク質の脳内蓄積が指標とされてきたが、近年では血液中のバイオマーカーの有用性が確立されてきている。特に、リン酸化タウ217(p-tau217)が、病理変化を高い精度で反映することが示され、質量分析法と免疫測定法(ELISAなど)の両方で臨床応用が進んでいる[11][12]

心血管疾患

急性冠症候群の診断では、高感度心筋トロポニン(hs-cTn)が国際的なガイドラインで推奨される標準検査法となっている[13]。少量の心筋壊死でも早期に検出可能であり、血中の濃度が99パーセンタイル値を超えるか、あるいは短時間の間に上昇・下降するか(デルタ判定)を総合的に判断することで、精度の高い診断が可能となる。

がんや腎臓病

健常者と患者のプロテオームを比較することで、様々な疾患のバイオマーカーが見つかっている。例えば、尿中のペプチドやタンパク質を網羅的に解析することで、自覚症状が現れる何週間も前に腎臓病を診断できる可能性がある。

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データ共有と標準化

プロテオミクス実験で生成される膨大なデータは、その再現性と信頼性を高めるため、データ共有が必須となっている。国際的なプロテオミクス研究の進展は、以下のデータ基盤と標準化活動によって支えられている。

  • ProteomeXchangeコンソーシアム:プロテオミクス生データの公共データベース(PRIDEMassIVEjPOSTなど)を統合したハブで、研究論文の発表に際して生データを登録することが事実上の標準となっている[14]
  • Human Proteome Project (HPP):HUPOが推進する国際プロジェクトで、ヒトのプロテオーム全体のカタログ化を目指し、定期的に進捗レポートを公開している[5]
  • Human Protein Atlas:ヒトのタンパク質の組織、細胞、病理組織における発現パターンを網羅的に可視化し、公開しているデータベースである[15]

出典

参考文献

関連項目

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