トップQs
タイムライン
チャット
視点

ヘクター・カマチョ

プエルトリコのボクサー (1962 - 2012) ウィキペディアから

ヘクター・カマチョ
Remove ads

ヘクター・カマチョHéctor Luiz Camacho Matias1962年5月24日 - 2012年11月24日)は、プエルトリコ男性プロボクサーバヤモン出身。元WBC世界スーパーフェザー級王者。元WBC世界ライト級王者。元WBO世界スーパーライト級王者。世界3階級制覇王者

概要 基本情報, 本名 ...
Remove ads

人物

スピードを持ったジャブの連打とステップ、回転の速いコンビネーションを武器とする。スタイリッシュなボクシングスタイル。パンチをかわす技術が大変優れている。

入場時には「マチョ・タイム!」(俺の時間だ!)と連呼しながらリングインし、試合後のインタビューでも度々おちゃらけた態度を取りインタビュアーを困らせたりするなど、ラテン系特有の非常に陽気な性格である。

豹柄などの派手なトランクスを愛用しており、ボクシングに限らずキックでも見られる前垂れのついた所謂「褌タイプ」のトランクスも着用した。

息子のヘクター・カマチョ・ジュニアもプロボクサーである。

私生活では、10代のころから喧嘩や万引きを繰り返し、麻薬常習者であり車泥棒であった。その性向は終生変わらなかった。家庭内暴力、規制薬物の所持、不法侵入、ライフル銃M16を通関させようとしたなど、様々な理由で何度も逮捕された。2012年になって、息子を殴った容疑で逮捕状が出されると自首した。裁判はカマチョの死亡によって未決のままになった[1]

Remove ads

略歴

1980年9月12日、プロデビュー。

1983年8月7日、ラファエル・リモンWBC世界スーパーフェザー級王座決定戦で対戦し、5回KO勝ちで王座獲得。同王座は1度防衛後に返上。

1985年8月10日、ホセ・ルイス・ラミレスとWBC世界ライト級タイトルマッチで対戦し、判定勝ちで2階級制覇に成功。同王座はエドウィン・ロサリオコーネリアス・ボサ・エドワーズ相手に2度防衛後に返上。

1989年3月6日、レイ・マンシーニWBO世界スーパーライト級王座決定戦で対戦し、判定勝ちで3階級制覇に成功。

1991年2月23日、グレグ・ホーゲンと3度目の防衛戦で対戦し、判定負けで王座陥落。同年5月18日、再戦を行い、判定勝ちで王座に返り咲いた。

1992年9月12日、フリオ・セサール・チャベスとWBC世界スーパーライト級タイトルマッチで対戦し、判定負け。

1994年1月29日、フェリックス・トリニダードIBF世界ウェルター級タイトルマッチで対戦し、判定負け。

1996年6月22日、ロベルト・デュランと対戦し、判定勝ち。

1997年3月1日、シュガー・レイ・レナードと対戦し、5回TKO勝ち。レナードが対戦した最後の相手となった。

1997年9月13日、オスカー・デ・ラ・ホーヤとWBC世界ウェルター級タイトルマッチで対戦し、判定負け。

2001年7月14日、ロベルト・デュランの保持するマイナータイトル・NBAスーパーミドル級王座を懸けて5年ぶりに再戦し、判定勝ち。

2009年5月9日、ルイス・ラモン・カンパスと対戦し、1-1のドロー。

Remove ads

銃撃事件

2012年11月20日、プエルトリコサンファン市内のバーの前で、友人と停車した車に乗っていたところを、通りかかった車の中から銃撃され、顔の左側を負傷した。友人は死亡し、カマチョは脊椎を損傷し意識不明の重体になった。同22日に脳死状態と判定された[2]

2012年11月24日、家族の同意のもと生命維持装置が外された後に、まもなく死亡した[1][3]50歳没

獲得タイトル

アマチュア

  • 1978年 ゴールデングローブ 112ポンド級サブ・ノービス選手権
  • 1979年 ゴールデングローブ 118ポンド級オープン選手権
  • 1980年 ゴールデングローブ 119ポンド級オープン選手権

プロ

メジャー

マイナー

  • IBC世界ウェルター級王座(防衛2)
  • IBC世界ミドル級王座(防衛1)
  • IBC世界ライトミドル級王座(防衛0)
  • NBAスーパーミドル級王座(防衛0)
  • WBE世界ライトミドル級王座(防衛0)

脚注

関連項目

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads