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ポルティモア男爵
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ポルティモア男爵(英: Baron Poltimore)は、イギリスの貴族、男爵、連合王国貴族爵位。デヴォンの地主ジョージ・バンプフィールドが1831年に叙位されたことに始まる。
歴史
バンプフィールド家はデヴォン地方の地主で、14世紀初頭にはエクセター近郊にポルティモア荘園を得ていたとされる[1]。その係累サー・ジョン・バンプフィールドはペンリン選挙区選出の庶民院議員を務めたのち、1641年にイングランド準男爵位の(デヴォン州ポルティモアの)準男爵(Baronet, of Poltimore in the County of Devon)を授けられている[2]。
その子の2代準男爵コープルストンは熱心な王党派で、イングランド内戦期のランプ議会に対する諫言にも加わっている[2][3]。彼は庶民院議員を三度務めており[3]、以降の歴代当主(3代準男爵-5代準男爵)もエクセター選挙区から庶民院議員を務め続けた[2]。
他方、5代準男爵チャールズの代にバンプフィールド家に悲劇が襲った。同家の元使用人が5代準男爵をピストルで狙撃し、これがもとで亡くなるという事件が起きている[2][4]。そのため、長男ジョージが準男爵位を継承した。
その6代準男爵ジョージは、1831年に連合王国貴族のデヴォン州ポルティモアのポルティモア男爵(Baron Poltimore, of Poltimore in the County of Devon)に叙されて貴族に昇った[5]。
以降、直系男子による継承が続いており、来孫にあたる7代男爵マークが男爵家現当主である。
ポルティモア・ティアラで着飾ったサラ夫人(2代男爵の妻)。のち、イギリス王室のマーガレット王女の持ち物となる。
なお男爵家の名前を刻むものとして、サラ・バンプフィールド男爵夫人(2代男爵オーガスタスの妻)の所有したアクセサリー『ポルティモア・ティアラ(Poltimore Tiara)』がある。ポルティモア・ティアラはサラ夫人の手を離れたのち、イギリス王室のマーガレット王女の所有となったことで知られる[6][7]。王女が亡くなるとオークションに掛けられて、920,000£(日本円:1億6,700万円)で落札された[8]。
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現当主の保有爵位
現当主の第7代ポルティモア男爵マーク・バンプフィールドは以下の爵位を有する[9]。
一覧

ポルティモアのバンプフィールド準男爵(1641年)
- 初代準男爵サー・ジョン・バンプフィールド(1610 -1650)
- 第2代準男爵サー・コープルストン・バンプフィールド(1633-1692)
- 第3代準男爵サー・コープルストン・バンプフィールド(1689 - 1727)
- 第4代準男爵サー・リチャード・バンプフィールド(1722 - 1776)
- 第5代準男爵サー・チャールズ・バンプフィールド(1757 - 1823)
- 第6代準男爵サー・ジョージ・バンプフィールド(1786-1858)
ポルティモア男爵(1831年)
- 初代ポルティモア男爵ジョージ・バンプフィールド(1786-1858)
- 第2代ポルティモア男爵オーガスタス・フレデリック・ジョージ・ウォリック・バンプフィールド (1837–1908)
- 第3代ポルティモア男爵コープルストン・リチャード・ジョージ・ウォリック・バンプフィールド (1859–1918)
- 第4代ポルティモア男爵ジョージ・ウェントワース・ウォリック・バンプフィールド (1882–1965)
- コープルストン・ジョン・ド・グレイ・ウォリック・バンプフィールド閣下 (1914–1936)
- 第5代ポルティモア男爵アーサー・ブラケット・ウォリック・バンプフィールド (1883–1967)
- 第6代ポルティモア男爵ヒュー・ド・バラ・ウォリック・バンプフィールド (1888–1978)
- アンソニー・ジェラード・ヒュー・バンプフィールド閣下 (1920–1969)
- 第7代ポルティモア男爵マーク・コープルストン・バンプフィールド (1957- )
爵位の法定推定相続人は、現当主の息子ヘンリー・アンソニー・ウォリック・バンプフィールド閣下 (1985- )
脚注
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