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ポーゼンの和約
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ポーゼンの和約(ポーゼンのわやく、ドイツ語: Frieden von Posen)は、1806年12月11日にポーゼン(現ポーランド領ポズナン)で締結された、フランス第一帝政とザクセン選帝侯領の間の講和条約。ザクセンは第四次対仏大同盟戦争において、プロイセン王国の同盟国として対仏大同盟に参加していたが、イエナ・アウエルシュタットの戦いで敗れ、領土の一部がフランス軍に占領された[1]。講和交渉にあたり、シャルル=モーリス・ド・タレーラン=ペリゴールがフランス代表を務めた[2]。
条約により、ザクセンは選帝侯領から王国に昇格、プロイセン領コトブスなど一部の地域を併合した[1][3]。代償として西方で建国したヴェストファーレン王国にいくらかの領地を割譲した[1]。ザクセンにはライン同盟への参加、フランスへの2,500万フランの賠償金支払いが義務として課されたほか、第四次対仏大同盟戦争においてフランスに小規模な援軍を出し、さらに将来の戦争では2万の軍勢を提供して、この軍勢がフランスの指揮下に入ることとなった[2][3]。
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