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マイケル・カーター=ウィリアムズ

アメリカのバスケットボール選手 (1991 - ) ウィキペディアから

マイケル・カーター=ウィリアムズ
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マイケル・カーター=ウィリアムズMichael Carter-Williams , 1991年10月10日 - )は、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ハミルトン出身の元プロバスケットボール選手。現役時代のポジションはポイントガードまたはシューティングガード。ニックネームは"MCW"。

概要 引退, ポジション ...
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経歴

要約
視点

2011年マサチューセッツ州のセントアンドリュース高校を卒業後、2013年までシラキュース大学に在籍した。

NBA

フィラデルフィア・76ers

2013年のNBAドラフトにて1巡目11位でフィラデルフィア・76ersから指名され、9月24日にシクサーズとの契約に合意した[1]。10月30日のマイアミ・ヒート戦で、NBAデビュー戦にもかかわらず22得点、7リバウンド、12アシスト、9スティールクアドルプル・ダブルに近いスタッツを記録し、NBAデビュー戦における1試合スティール数のNBA記録を更新した[2]。2013-2014のルーキーシーズンは、70試合に出場し、スターターも70試合務め、1167得点(16.7ppg)、437リバウンド(6.2rpg)、441アシスト(6.3apg)を記録し、新人王を受賞した[3]。なお、新人選手がシーズン平均16得点、6リバウンド、6アシスト以上を記録したのは、オスカー・ロバートソンマジック・ジョンソンに次いでNBA史上3人目であった[4]

ミルウォーキー・バックス

2015年2月20日に3チームが絡むトレードでミルウォーキー・バックスへ移籍した。しかし、カーター=ウィリアムズ加入後、それまで30勝23敗と好調だったバックスのチーム成績は大きく下降してしまい、翌2015-2016シーズンもチームを勝たせることが出来ず、更に同シーズンの3月に臀部の手術のためにシーズン全休が決定するなど、悪戦苦闘が続いた[5]

シカゴ・ブルズ

2016年10月17日にトニー・スネルとのトレードでシカゴ・ブルズへ移籍した[6]。そして、ブルズ加入後も負傷に悩まされ、実力を発揮することが出来ず[7][8]、シーズン終了後にブルズからクオリファイング・オファーを提示しないことが発表され、2017年夏に完全FAとなった[9]

シャーロット・ホーネッツ

2017年7月7日にシャーロット・ホーネッツとの1年270万ドルの契約に合意した[10]。2018年3月9日に肩の怪我により2017-18シーズンの残り全試合を欠場することが発表された[11]

ヒューストン・ロケッツ

2018年7月6日にヒューストン・ロケッツとの契約に合意した[12]。2019年1月7日に2020年のプロテクト付き2巡目指名権とのトレードで現金と共にシカゴ・ブルズへ移籍したが[13]、その後にブルズから解雇された[13]

オーランド・マジック

3月15日にオーランド・マジックとの10日間契約に合意した[14]。同月25日に再びマジックとの10日間契約に合意した[15]。同日のフィラデルフィア・76ers戦でシーズンハイとなる15得点を記録し、チームは119-98で勝利した[16]。4月4日にマジックとのシーズン終了までの契約に合意した[17]

7月10日にマジックとの再契約に合意した[18][19]

2020年11月24日にマジックとの2年総額660万ドルの再契約に合意した[20][21]

2021-22シーズン開幕前の2021年8月23日に、左足首の手術を受けることが発表された[22]

2023年2月26日にマジックとの再契約に合意した[23]

メキシコシティ・キャピタンズ

10月30日にNBAGリーグメキシコシティ・キャピタンズとの契約に合意したが[24]、12月26日に個人的な理由により退団することが発表された[25]

現役引退

2024年10月に受けたインタビューにて現役引退を表明した[26][27]

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NBA個人成績

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レギュラーシーズン

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プレーオフ

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カレッジ成績

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プレースタイル

得点、アシスト、リバウンドすべてに長け、バランスのとれたオールラウンドプレーヤーだが、ターンオーバーの多い選手としても知られ、また2015年2月にミルウォーキー・バックス加入後は、それまで好調だったチームの成績が急降下し、翌シーズンはプレーオフ出場も逃したこともあり、決して自身のプレーがチームの勝利に直結しているわけではなく、チームを成功に導く選手ではないことが証明された。怪我が多いのも難点。その結果、2013-2014シーズン新人王だったにもかかわらず、ジャーニーマンに落ち着いた要因となっている。[要出典]

脚注

外部リンク

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