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マグダラのネイピア男爵

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マグダラのネイピア男爵: Baron Napier of Magdala)は、イギリスの男爵貴族連合王国貴族爵位。サーロバート・ネイピア英語版陸軍大将が1868年に叙されたことに始まる。

概要 マグダラのネイピア男爵 Baron Napier of Magdala, 創設時期 ...
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歴史

陸軍軍人ロバート・ネイピア英語版(1810-1890)は、イギリス・エチオピア戦争英語版下のマグダラの戦い英語版を指揮して完勝した功により、1868年7月17日連合王国貴族としてアビシニア及びチェスター王権伯領カリントンにおけるマグダラのネイピア男爵(Baron Napier of Magdala, in Abyssinia and of Caryngton in the County Palatine of Chester)に叙された[1][2][3]。ネイピアはのちの1883年には陸軍元帥に昇進したほか、ジブラルタル総督職を務めている[4][5]

なお、大法官府事務次官を務めた官僚サー・アルバート・ネイピア英語版は初代男爵の次男にあたる[2]

その後は長男、次男、異母兄の順で爵位が継承された。これ以降は4代男爵の系統で現在に至っており、現当主である6代男爵はその孫にあたる[2]


爵位にかかるモットーは『汝、その鎖を解き放て(Tu Vincula Frange.)[2][3]

これは、マグダラの戦い英語版に臨む初代男爵に対してヴィクトリア女王が督戦した電文の内容に由来する[注釈 1][6]

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マグダラのネイピア男爵(1868年)

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初代男爵ロバート・ネイピア
  • 初代マグダラのネイピア男爵ロバート・ジョージ・コルネリス・ネイピア英語版(1810年 - 1890年)
  • 第2代マグダラのネイピア男爵ロバート・ウィリアム・ネイピア(1845年 - 1921年)
  • 第3代マグダラのネイピア男爵ジェームス・ピアス・ネイピア(1849年 - 1935年)
  • 第4代マグダラのネイピア男爵エドワード・ハーバート・スコット・ネイピア(1861年 - 1948年)
  • 第5代マグダラのネイピア男爵ロバート・ジョン・ネイピア(1904年 - 1987年)
  • 第6代マグダラのネイピア男爵ロバート・アラン・ネイピア(1940年 - )

爵位の推定相続人は、現当主の息子であるジェームス・ロバート・ネイピア(1966年 - )。

脚注

関連項目

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