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マヌエル・ヒメネス
スペインのサッカー選手 ウィキペディアから
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マヌエル・"マノロ"・ヒメネス・ヒメネス(Manuel "Manolo" Jiménez Jiménez, 1964年1月26日 - )は、スペイン・セビージャ県アラアル出身の元同国代表サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはDF(左サイドバック)。
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選手経歴
選手時代はセビージャFCで14年間プレーし、主に左サイドバックとして活躍した。通算354試合出場は、クラブ歴代1位の記録である。また、スペイン代表として1990年のワールドカップ・イタリア大会に参加する等、国際Aマッチ15試合に出場した。
指導者経歴
引退後は指導者として2000年から2007年までセビージャのBチームであるセビージャ・アトレティコでコーチを務める。ホセ・アントニオ・レジェスやセルヒオ・ラモス、アントニオ・プエルタ、ヘスス・ナバスらをトップチームに送り込んだ。2007年10月27日、ファンデ・ラモス監督のトッテナム・ホットスパーFC移籍に伴いセビージャFC監督に昇進した[1]。若手を積極的に起用する方針を貫いたが、公式戦7試合勝ち無しなど成績不振に陥り2010年3月23日に解任された[2]。
2010年10月7日、シーズン開幕から5試合を終えて7位と低迷するギリシャ・スーパーリーグのAEKアテネFC監督に就任し[3]、2010-11シーズンのギリシャ・カップを制したが[4]、2011年10月に双方合意の上で契約を解除して退任した[5]。
2011年12月末、解任されたハビエル・アギーレ監督の後任として、2011-12シーズン終了までの契約でレアル・サラゴサ監督に就任した[6]。リーグ最下位のクラブを引き継ぐと最終節に残留を達成し、6月4日に契約を延長した[7]。
2013年11月4日、カタールのアル・ラーヤンSCに招聘される[8]。
2017年1月にAEKアテネの指揮官として復帰。2017-18シーズンには24年振りのリーグ優勝に導いた。シーズンを終えると家庭の事情でギリシャを去り、UDラス・パルマスの監督に就任。2018年11月16日に解任となった[9]。
2019年2月に再びAEKアテネに復帰し16試合10勝を挙げるが、同年5月に契約を満了した。
同年10月、UAEのアル・ワフダ・アブダビの指揮官として招聘される[10]。
2020年12月23日、AEKアテネの監督に4度目の就任となり2021-22シーズンまでの契約を締結した[11]。しかし、シーズン終了後に退任した[12]。
2024年3月からパラグアイのセロ・ポルテーニョで監督を歴任。公式戦32試合を指揮し16勝8分け8敗と一定の成績を残していたが、同年9月30日に解任された。
同年10月12日、APOELニコシアの監督に就任し、2025年5月までの契約を締結した。
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監督成績
- 2021年5月16日現在[13]
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タイトル
指導者時代
- セビージャ・アトレティコ
- セグンダ・ディビシオンB:1回(2006-07)
- AEKアテネFC
- ギリシャ・スーパーリーグ:1回(2017-18)
- キペロ・エラーダス:1回(20101-11)
- アル・ラーヤンSC
- カタールガス・リーグ:1回(2014-15)
- 個人
- PSAP年間最優秀監督賞:1回(2017-18)
脚注
外部リンク
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