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マルクス・ファビウス・リキヌス
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マルクス・ファビウス・リキヌス(ラテン語: Marcus Fabius Licinus)、生没年不詳)は紀元前3世紀中期の共和政ローマの政治家・軍人。紀元前246年に執政官(コンスル)を務めた。
出自
パトリキであるファビウス氏族の出身。父のプラエノーメン(第一名、個人名)はガイウス、祖父はマルクスである[1]。父のガイウスは紀元前273年の執政官ガイウス・ファビウス・ドルソ・リキヌスである。
経歴
紀元前246年、ブテオは執政官に就任。第一次ポエニ戦争の19年目の年であり、同僚執政官はマニウス・オタキリウス・クラッスス[2]であった。両執政官は、シケリアでカルタゴの将軍ハミルカルに対する作戦を実施した。しかし、この時期に大きな戦闘が行われたとの記録は無く、前年に続いて小競り合いが続き、さらには翌年も同様であった[3][4]。
両執政官がシケリアに出征していたため、翌年の執政官選挙のためにティベリウス・コルンカニウスが独裁官に任命された。
脚注
参考資料
関連項目
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