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マルセロ・サラス
チリのサッカー選手 ウィキペディアから
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ホセ・マルセロ・サラス・メリナオ(José Marcelo Salas Melinao, 1974年12月24日 - )は、チリ共和国テムコ出身の元サッカー選手。アレクシス・サンチェス(50得点)に抜かれるまではチリ代表の歴代最多得点の記録保持者であった。インディオのマプチェ族から派生したアラウカナ族にルーツを持つ[2]。
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経歴
要約
視点
1994年、ウニベルシダ・デ・チレでデビューを飾り、25試合で27得点を挙げる活躍を見せた。同年5月18日のアルゼンチン戦でチリ代表デビューを果たすと、いきなり得点を挙げた。ボールコントロールや精度の高いシュートなどで名を上げ、1996年秋に、アルゼンチンのCAリーベル・プレートとボカ・ジュニアーズが獲得を争ったが、リーベルへ移籍した[3]。この年はインターコンチネンタルカップのユヴェントス戦ではフリオ・クルスの交代で僅かな出場時間を与えられただけに終わるなど、レギュラーは奪えなかった。1997年にはレギュラーの座を確保、前期後期のリーグ優勝、南米スーパーカップの優勝に貢献し、南米年間最優秀選手賞を受賞した[3]。リーベルでは、67試合で31得点を決めた[3]。1998年ワールドカップ前の、1月には、既に1998-99シーズンからのSSラツィオ入団で合意、その後、その事実を知らないいくつかのクラブが獲得に動いたが、2月に入団発表が行われた[3]。
チリ代表では、主将のイバン・サモラーノと2トップを組み、「ZaSaコンビ(サ・サコンビ)」として活躍した[3]、フランスW杯南米予選では11得点を挙げ、チリを4大会ぶりのワールドカップ出場に導いた。1998年のフランスW杯では、グループリーグ初戦のイタリア戦で2得点、第2戦のオーストリア戦で1得点を挙げ、チリの決勝トーナメント進出に貢献した[3]。決勝トーナメント1回戦、ブラジル戦でも1得点を決めたが、1-4で敗れた。
1998-99シーズン、SSラツィオへ移籍。このシーズンの公式戦42試合で24ゴールと、すぐに活躍を見せた[3]。この年、UEFAカップウィナーズカップで優勝を果たした[3]。翌1999-2000シーズン、リーグ戦で12得点を決め、リーグ優勝に貢献した。ラツィオでの3シーズンで117試合に出場し、49得点を記録した[3]。その活躍によって、2001-02シーズン、ユヴェントスFCがアレッサンドロ・デル・ピエロ、ダヴィド・トレゼゲとのトリデンテを組ませることを望んで獲得した[3]。しかし、第8節のボローニャ戦での怪我により、残りの試合をほぼ全休した[3]。翌シーズンもユヴェントスでプレーしたが、複帰後は、これまでの輝きを取り戻すことが出来なかった[3]。
2003年にリーベルプレートへ復帰した。さらに2005年からはキャリアをスタートさせたウニベルシダ・デ・チレでプレーした。同年、代表にも復帰し、サモラーノの持つ代表最多得点記録34得点を更新した。
2006年末、ウニベルシダ・デ・チレを退団。その後、MLSのシカゴ・ファイアーのキャンプに参加し入団テストを受けたが合意に至らず、結局、2007年7月にウニベルシダ・デ・チレと再契約した。
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代表歴
出場大会
- チリ代表
- 1998 FIFAワールドカップ (ベスト16)
試合数
脚注
外部リンク
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