トップQs
タイムライン
チャット
視点

マレク・アルテール

ウィキペディアから

マレク・アルテール
Remove ads

マレク・アルテール(Marek Halter; 1936年1月27日 -)はフランス作家画家平和運動家ワルシャワ生まれの(ポーランド系)ユダヤ人で1980年にフランスに帰化。作家としてユダヤ人の歴史について多くの著書を発表するほか、平和運動家として反ユダヤ主義をはじめとする人種主義への抵抗、中東和平、飢餓対策、仏露関係などに貢献している。

概要 マレク・アルテールMarek Halter, 誕生 ...
Remove ads

経歴・業績

要約
視点

背景

マレク・アルテールは1936年1月27日、ワルシャワ(ポーランド)に生まれた。父サロモンは印刷所を営み、母パールはイーディッシュ語の詩人であった[1]

1939年9月1日、ナチス・ドイツ軍がポーランドに進攻。ワルシャワを占領し、ユダヤ人居住区を隔離地域とした(ワルシャワ・ゲットー)。アルテール一家は父サロモンの友人でカトリック教徒の協力を得て、独ソ開戦(1941年)前にゲットーを脱出し、ソ連赤軍が占領したポーランド東部へ逃れ、さらにウクライナを経てモスクワに到着した。モスクワ滞在中に妹のベレニスが生まれたが、まもなくドイツ軍がモスクワへ進撃したため、再びヴォルガ川に近い村ノヴォウゼンスクへ、さらにウズベキスタン東部のコーカンドへ逃れた。コーカンドにはすでに100万人以上の難民が到着していて、赤痢やチフス、飢餓に苦しみ、多数の死者が出ていた。アルテールの両親が入院し、幼い妹ベレニスは託児所に預けられたが、まもなく餓死したと知らされた。ある日、医者がやってきて「両親の命を救いたかったら、米を手に入れなければならない」と言われた。アルテールは、ロバが運ぶ袋に穴を開けて米を盗んだ。見つかって殴られたが、以後も盗みを働きながら生き延びたという[2]

主な活動

1950年、アルテール一家はパリに移住した。51年、イスラエルキブツで労働に就いたが、画家を目指していたアルテールはパリに戻り、エコール・デ・ボザールに入学[1]。1954年、アルゼンチンで初めての個展を開いた[3]

1966年、マドリッド滞在中に作家・政治家のホルヘ・センプルンに出会い、翌67年、共に「交渉に基づく中東和平国際委員会」を設立した。1968年の五月革命では画家として多くのポスターを制作した。1976年、中東和平のために描かれたデビュー作『道化師と王たち』を発表。政治、哲学、歴史部門の文学賞である今日賞を受賞した[3]

1980年、ベルナール=アンリ・レヴィジャック・アタリフランソワーズ・ジルーアルフレッド・カストレルギ・ソルマンフランス語版らと非政府組織『飢餓に対する行動』(Action Against Hunger) を結成した。同組織は現在、世界50か国で活動を展開し、7,500人が参加している[4]

1984年、アルレム・デジールらを中心とした人種差別撤廃を訴える団体「SOS人種差別」の立ち上げに参加した。1991年、アンドレイ・サハロフの協力を得て、モスクワ大学内にフランス短期大学を設立した[5]。その後、カザフスタンアルマトイにも同様のフランス短期大学を設立した[6]

1994年、彫刻家の妻クララ・アルテールフランス語版とともに、第二次大戦中にユダヤ人を助けた「義人」を描いたドキュメンタリー映画『ツェデック ― 義人』を制作した[7](著書『救出者 ― なぜユダヤ人を助けたか』参照)。ツェデックはヘブライ語で「正義」の意味である。

2003年、サンクトペテルブルク市の建都300周年を記念する式典にフランス代表として参加した。クララ・アルテールはこれを記念して、建築家ジャン=ミシェル・ヴィルモットフランス語版と「平和の塔」を制作した。この塔には世界32か国語で「平和」の文字が書かれており、アルテールとヴィルモットは同様の趣向のモニュメントとして広島の「平和の門」(被爆60年の2005年制作)とパリのシャン・ド・マルス公園の「平和の壁フランス語版」(2000年)を制作している[8][9]。また、アルテールはこれを機会に、『聖書の女たち』全3巻(サラチッポラ、リラ)を発表した。

2008年、アルテールの自伝には誤記や不正確な記述が多いことが指摘され、波紋を呼んだ[10]

同年、レジオンドヌール勲章オフィシエを贈られた[11]

Remove ads

著書

  • Le Fou et les Rois (道化師と王たち), 1976 – 今日賞
  • Mais (だが・・・) (エドガール・モランとの共著), 1979
  • La Vie incertaine de Marco Mahler (マルコ・マーラーの疑わしい生涯), 1979
  • Argentina, Argenti (アルジェンティーナ・アルジェンティ), 1979
  • La Mémoire d'Abraham (アブラハムの回想録), 1983 – アンテル図書賞
  • Jérusalem (エルサレム), 1986
  • Les Fils d’Abraham (アブラハムの息子), 1989
  • Jérusalem. La Poésie du Paradoxe (エルサレム ― 逆説の詩情), 1990
  • Un homme, un cri (ある男、ある叫び), 1991
  • Les Fous de la paix (平和の道化師), 1994
  • La Force du Bien, 1995
  • Le Messie (救世主), 1996
  • Toulon (トゥーロン), 1998
  • Les Mystères de Jérusalem, Robert Laffont, 1999
    • 『エルサレム・ミステリー ― ユダヤ謎の古文書を追え』広津倫子訳, 徳間文庫, 2000
  • Le Judaïsme raconté à mes filleuls (私の名付け子に語るエルサレム), 1999
  • Le Vent des Khazars (ハザールの風), 2001
  • La Bible au féminin, tome 1 : Sarah, 2003
  • La Bible au féminin, tome 2 : Tsippora¸2004
    • 『モーセを愛した女 ― 聖書の女たち』藤本優子訳, ソニー・マガジンズ / ヴィレッジブックス, 2004
  • La Bible au féminin, tome 3 : Lilah, 2005
    • 『悲しき恋を追う女リラ ― 聖書の女たち』藤本優子訳, ソニー・マガジンズ / ヴィレッジブックス, 2006
  • Marie (マリア), 2006
  • Bethsabée : Ou L'Éloge de l'adultère (バテシバ ― 姦通礼賛), 2006
  • Je me suis réveillé en colère (私は憤りのあまり目覚めた), 2007
  • La Reine de Saba (シバの女王), 2008
  • Le Kabbaliste de Prague (プラハの神秘主義者), 2010
  • Histoires du peuple juif (ユダヤ人の歴史), 2010
  • La Rencontre (出会い) (短編集), 2010
  • L'Inconnue de Birobidjan (ビロビジャンの見知らぬ男), 2012
  • Faites-le! (やりなさい!), 2013
  • Khadija, les femmes de l'Islam (1) (ハディージャ ― イスラム教の女たち), Robert Laffont, 2014
  • Réconciliez-vous ! (和解), Robert Laffont, 2015
  • Fatima, les femmes de l'Islam (2) (ファティマ ― イスラム教の女たち), Robert Laffont, 2015
  • Aïcha, les femmes de l'islam (3) (アーイシャ ― イスラム教の女たち), Robert Laffont, 2015
  • Je rêvais de changer le monde. Mémoires (世界を変える夢を見ていた ― 回想録), Robert Laffont / XO, 2019
Remove ads

脚注

参考資料

関連項目

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads