トップQs
タイムライン
チャット
視点

マントヴァ公国

ウィキペディアから

マントヴァ公国
Remove ads

マントヴァ公国(マントヴァこうこく、: Ducato di Mantova)は、中世イタリアにおいて存在した君主国である。首都はマントヴァ

マントヴァ公国
Ducato di Mantova
ゴンザーガ家 1433年 - 1797年 チザルピーナ共和国
Thumb Thumb
(国旗) (国章)
Thumb
マントヴァ公国の位置
さらに見る 公用語, 首都 ...
Thumb
マントヴァ侯国時代の領土(1494年) 緑色で示した。ポー平原に位置し、国土の中央を東西にポー川が流れる。北はヴェネツィア共和国(桃色)、西はミラノ公国(橙色)、南はモデナ公国、東はフェラーラ公国に接していた。
Thumb
20世紀末のマントヴァ県の位置、マントヴァ公国の領土とほぼ一致する

1433年に、長年マントヴァの僭主シニョーレ)であったゴンザーガ家侯爵の地位を獲得して領主となり、フェデリーコ2世1530年公爵に昇格したことにより、マントヴァ侯国から公国となった。

1708年フェルディナンド・カルロ(カルロ3世)が亡くなると、ミラノ公国に編入され、オーストリア・ハプスブルク家領となった。

Remove ads

関連項目

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads