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ムハンマド・ファヒーム

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ムハンマド・ファヒーム
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ムハンマド・カシーム・ファヒームペルシア語: محمد قسیم فهیم、羅:Mohammed Qasim Fahim、1957年[1] - 2014年3月9日[2] )は、アフガニスタンの政治家、軍人。第一副大統領(2009年11月 - 2014年3月)。元帥。タジク人

概要 生年月日, 出生地 ...

日本の報道では、「モハマド・カシム・ファヒム」などと表記される。

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経歴

パンジシール州出身[1]

ブルハーヌッディーン・ラッバーニーが率いるアフガニスタン・イスラム協会の党員。ソ連アフガン侵攻時、アフマド・シャー・マスードの指揮下で、野戦指揮官、政治委員、諜報機関「シュライ・ナジル」(監視会議)の副議長を務める。

ラッバーニー政権樹立後、保安相を務める。1991年からアフガニスタン国家イスラム保安局長。

1996年にターリバーンカーブルを奪取した後、北部同盟の軍事会議議員となり、アフガニスタン北部の作戦を担当した。マスード暗殺後は、北部同盟軍司令官に任命され、数日後にドゥシャンベで開かれた北部同盟支持国(イランインドロシアタジキスタン)代表の会議において承認された。

2001年11月~2002年6月、ハーミド・カルザイ暫定政権の副大統領兼国防相。2002年6月~2004年7月、移行政権の副大統領兼国防相。

2005年12月、メシュラーノ・ジルガ(上院)議員。

2009年11月19日、第2次カルザイ政権の第一副大統領に任命。

2014年3月9日、副大統領在任中に死去。

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脚注

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