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モスティン男爵

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モスティン男爵英語: Baron Mostyn)はイギリスの男爵貴族連合王国貴族爵位。庶民院議員エドワード・ロイド英語版1831年に叙位されたことに始まり、以降はロイド=モスティン家がその爵位を保持する。

概要 モスティン男爵 Baron Mostyn, 創設時期 ...

本項ではその前身となったロイド準男爵[注釈 1]に関しても触れる。 

歴史

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初代男爵を描いた肖像画
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男爵家の所有するモスティン・ホールとその庭

エドワード・プライス・ロイド(1710頃-1795)はロイド家出身者のうち最初に称号を得た人物で、彼は1778年にグレートブリテン準男爵位の「(フリント州ペングウェラの)準男爵(Baronet, of Pengwerra in the County of Flint)」を授けられた[1][2][3]。この準男爵位には残余権が付与されており、エドワードの弟とその男子にも相続を認めていた[3]。ゆえに、彼ののちは存命の甥エドワードが準男爵位を継承した[2][3]

その2代準男爵エドワード(1768-1854)が男爵家の祖となった人物であり、フリント・バラズ選挙区英語版及びボーマリス選挙区英語版選出の庶民院議員を務めた政治家である[3][4]。彼は1795年に義父サー・ロジャー・モスティン英語版からウェールズの地所を相続したほか[4][5]1831年9月10日には連合王国貴族として「フリント州モスティンのモスティン男爵(Baron Mostyn, of Mostyn in the County of Flint)」に叙せられた[2][3][4][5]

その息子の2代男爵エドワード英語版(1795-1884)フリントシャー選挙区英語版及びリッチフィールド選挙区英語版選出の庶民院議員を務めたほか、メリオネスシャー統監英語版[注釈 2]も務めた[2][3]。彼は父が叙爵された1831年に勅許を得て、母方の名家「モスティン(Mostyn)」の名をその姓に加えた[2][3]。エドワードの子トマス英語版は父の跡を継いでフリントシャー選出の庶民院議員を務めたが、爵位を継ぐ前に31歳で急逝した[6]。そのため、爵位はエドワードの孫ルワレンが継承した[2][3][5]。以降も直系男子による継承が続いており、ルワレンの玄孫である7代男爵グレゴリーが男爵家現当主である[5]

7代男爵グレゴリー(1984-)は、2011年3月22日に父の死去に伴って爵位を継承した[5][7][8][9]。モスティン男爵家は、自ら開発したウェールズ北部のリゾート地スランディドゥノ英語版をはじめ、モスティン・エステーツ (Mostyn Estates) として多くの地所を抱えており、現当主は若手イギリス人の長者番付に度々名前が挙がっている[9][10][11]ハリー杉山は現当主のかつての同級生である[11][12][13][14]

モスティン男爵家の邸宅はフリントシャーモスティン英語版モスティン・ホール英語版[5]。モスティン・ホールには、リチャード3世に追われていたヘンリー7世が逃げ込み、先祖が匿ったとの伝承がある[11]

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一覧

ペングウェラのロイド準男爵(1778年)

  • 初代準男爵サー・エドワード・プライス・ロイド(1710年頃 - 1795年)
  • 第2代準男爵サー・エドワード・ロイド英語版(1768年 - 1854年)
    • 1831年に「モスティン男爵」を叙爵され、初代モスティン男爵となる。

モスティン男爵(1831年)

  • 初代モスティン男爵エドワード・プライス・ロイド英語版(1768年 - 1854年)
  • 第2代モスティン男爵エドワード・モスティン・ロイド=モスティン英語版(1795年 - 1884年)
    • トーマス・エドワード・ロイド=モスティン閣下英語版(1830年 - 1861年)※推定相続人のまま死去、爵位は息子へ
  • 第3代モスティン男爵ルワレン・ネヴィル・ヴォーン・ロイド=モスティン(1856年 - 1929年)
  • 第4代モスティン男爵エドワード・ルワレン・ロジャー・ロイド=モスティン(1885年 - 1965年)
  • 第5代モスティン男爵ロジャー・エドワード・ロイド・ロイド=モスティン(1920年 - 2000年)
  • 第6代モスティン男爵ルワレン・ロジャー・ロイド・ロイド=モスティン(1948年 - 2011年)
  • 第7代モスティン男爵グレゴリー・フィリップ・ロジャー・モスティン(1984年 - )

爵位の推定相続人は、7代男爵のみいとこの孫であるロジャー・ヒュー・ロイド=モスティン(1941年 - )で、2代男爵から数えて7代目にあたる[15]

その次代は長男クリストファー・エドワード・ロイド=モスティン(1968年 - )、更に次代はアレクサンダー・ジェイムズ・ロイド=モスティン(2000年 - )。

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脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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