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モス・デフ
アメリカ合衆国ニューヨーク州ブルックリン出身のMC(ラッパー)兼俳優 ウィキペディアから
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モス・デフ (Mos Def、本名ダンテ・テレル・スミス、1973年12月11日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ブルックリン出身のMC、俳優[1]。
彼のキャリアはダ・ブッシュ・ベイビースとデ・ラ・ソウルのアルバムにおけるネイティブ・タンのポッセカットから始まる。1990年代には、同じくニューヨーク出身のMCであるタリブ・クウェリとのコンビ、ブラック・スターにおいて当時のインディーズ・ヒップホップ・シーンで主導的な役割を果たしていたロウカス・レコードの看板ミュージシャンとなり、アンダーグラウンド・ヒップホップを牽引していく。2000年代に入ってからは、俳優としていくつかの映画に出演し始め、評価を集める[2]。社会問題や政治への批評家としても活動しており、2005年にアメリカを襲ったハリケーン・カトリーナ災害の際は、被災者への援助をメディアを通して呼びかけた。2012年ごろからは、ヤシーン・ベイ(Yasiin Bey)に改名して活動している。
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バイオグラフィ
要約
視点
少年期
モス・デフことダンテ・スミスはニューヨーク州ブルックリンに生まれた[3]。彼の弟であるAbdul Rahman a.k.a. "Gold Medal Man" は、モス・デフのDJを務めている。最近の兄弟によるコラボレーションは、ダン・ジ・オートメーター・プロデュースのビデオゲーム向けサウンドトラック『NBA 2K7』中の「Here comes the Champ」である。Cesという妹と、Jermone、DCQという弟がいる。モス・デフはヒップホップの黄金時代に育ち、9歳からラップと演技を始めた。
ラッパーとしてのキャリア
モス・デフは1996年にアーバン・サーモ・ダイナミクス(Urban Thermo Dynamics、UTD)をCes、DCQと結成。ペイ・デイ・レコードとの間に契約を交わし、2枚のシングルとデビュー・アルバム『Manifest Destiny』を製作した。『Manifest Desitiny』は2004年にIllson Mediaが発売した。その後、ソロとして、デ・ラ・ソウルやブッシュ・ベイビーズとのフィーチャリング曲で注目を浴び、ソロ・アルバム『Universal Magnetique』はインディー・シーンでヒット作となった。
ロウカス・レコードと契約した彼は、ラッパーのタリブ・クウェリとブラック・スターを結成、初のフル・アルバム『ブラック・スター (Mos Def and Talib Kweli Are Black Star)』を1998年に発売する。アルバムの曲は、ほとんどDJのHi-Tekがプロデュースを担当した。
1999年にロウカスから、ソロ・アルバム『ブラック・オン・ボース・サイズ』を発売。耳の肥えたヒップホップ・フリークをうならせた同レーベルの『The Lyricist Lounge』シリーズにもフィーチャーされる。
ロウカスの倒産後は、Interscope/ゲフィン・レコードと契約、2004年にアルバム『ザ・ニュー・デンジャー』を発売する。『ザ・ニュー・デンジャー』はソウル、ブルースやロックなど様々なジャンルの音楽の折衷だという批判を以って、ファンに受け止められた。『ザ・ニュー・デンジャー』ではモス・デフ自身が結成したロック・バンド、ブラック・ジャック・ジョンソン(The Black Jack Johnson)が演奏を担当した。ブラック・ジャック・ジョンソンには、元祖黒人ハードコアパンク・バンドのバッド・ブレインズやリヴィング・カラーのメンバーも在籍していた。また、GMC デナリ・スポーツ・ユーティリティ・ビークルのTVコマーシャルに出演したことで、アンダーグラウンド・ヒップホップの活動では重要な要素になる地に足の着いた(Keep it real)気持ちをなくしてしまったとの批判をファンから受けた。
2006年にはゲフィンからの最後のアルバム『True Magic』を発売した。『True Magic』のCDはブックレットも無く、ケースにラベルも貼られていない、ただ透明なプラスティックのケースにCDが入れられただけという簡素なものだった。これはゲフィンがモス・デフのプロモーション費をカットしたことが理由と目されている。
その後、2007年にコンピレーション・アルバム『Mos Definite』をFrequent Mから発売する。
2009年にアルバム『ジ・エクスタティック (The Ecstatic)』を発売。収録曲「Quiet Dog Bite Hard」はゲーム『Saints Row: The Third』に使用されている。
俳優としてのキャリア
彼の俳優としてのキャリアは、ダンテ・ベーゼ(Dante Beze)の名で子役として始まる。14歳のとき、『God Bless The Child』というTV映画に出演。その後、『You Take The Kids』というシットコムに出演する。彼は音楽のキャリアよりも先に、テレビ・ドラマ『The Cosby's Mistery』で探偵役のビル・コスビーの相棒を務め、その演技により注目を集める。1996年には、Visaチェック・カードのコマーシャルにも出演している。
その後、2001年『チョコレート』、2003年『ミニミニ大作戦』、2005年『銀河ヒッチハイク・ガイド』、2006年『16ブロック』、2008年『僕らのミライへ逆回転』、『キャデラック・レコード 音楽でアメリカを変えた人々の物語』(Cadillac Records) などに出演している。
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ディスコグラフィ
→詳細は英語版「en:Mos Def discography」を参照
スタジオ・アルバム
- 『ブラック・オン・ボース・サイズ』 - Black on Both Sides (1999年)
- 『ザ・ニュー・デンジャー』 - The New Danger (2004年)
- True Magic (2006年)
- 『ジ・エクスタティック』 - The Ecstatic (2009年)
- ንጉሥ (Negus) (2019年)[A]
コラボレーション・アルバム
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フィルモグラフィ
→詳細は英語版「en:Mos Def#Filmography」を参照
映画
テレビ
受賞歴
→詳細は英語版「en:Mos Def#Accolades」を参照
注釈
- 『Negus』はヤシーン・ベイの5枚目のスタジオ・アルバムにあたり、ロード・タスク、スティーヴン・ジュリアン、ACydeの全面プロデュースにより、2015年にロンドンでレコーディングされた。『Negus』は2019年3月29日に香港で開催されたアート・バーゼルの期間中に独占で初演された。プレスリリースによると、アルバムは物理的に、またはデジタルによってリリースされることはないが、世界中のサウンド・インスタレーションで展示される[4]。
脚注
外部リンク
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