トップQs
タイムライン
チャット
視点

ヨアシュ (イスラエル王)

ウィキペディアから

ヨアシュ (イスラエル王)
Remove ads

ヨアシュヘブライ語: יהואש Yəhō’āš)は、北イスラエル王国第12代の王で、エフー(イエフ)王朝第3代の王である。ヨアシとも表記する。ヘブライ語で「ヤハウェが与える」という意味。

概要 ヨアシュ יהואש, 在位 ...

生涯

(以下、特筆がない場合『列王記』下13章~14章、『歴代誌』下25章より引用)

ヨアハズ(エホアハズ)の子として生まれ、紀元前798年に王位に就いて16年間王位にあった。彼もヤロブアム王の偶像礼拝の伝統を継承した。

ただし、預言者エリシャには敬意を払い、このため彼が晩年寝込んでいるときに見舞いに向かったところ、エリシャはヨアシュに弓を射るように命じた。そして、アラムに3回勝つことを預言した(エリシャはヨアシュの消極的な姿勢に怒り、「なぜ4、5回弓を弾かなかったのか」と叱責している)。祖父エフー、父エホアハズの時に領土の一部がアラムに奪われていたが、アッシリアがこのアラムを征服するようになり、アラムがアッシリヤに過酷な貢物を課せられて国力の衰えた時に、ヨアシュはアラムのベン・ハダデと戦って、奪われていた領土を取り返した。

ヨアシュはまた、ユダ王国アマツヤの挑戦に応じ、ベテ・シェメシュの戦いでユダに大勝してアマツヤを捕らえ、エルサレムに進撃して、神殿の財宝と人質をとってサマリアに凱旋した。

なお、『列王記』(下13:11)では、他の北イスラエルの王と同様「主の御前に悪を行った」で片づけられているが、フラウィウス・ヨセフスの『ユダヤ古代誌』第IX巻8章6節では北イスラエル王の中で唯一良い評価をされており[1]、「彼は徳高高い君子で、その性向は父親と正反対だった。」としている[2]

Remove ads

脚注

参考文献

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads