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ライット・システム

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ライット・システム
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ライット・システム(仏語:"Système La Hitte")は、1855年3月に採用されたフランス陸軍施条前装砲で、ジャン=アーネスト・デュコ・ド・ライット(Jean-Ernest Ducos de La Hitte)将軍の名前に基づくものである[1]

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:砲腔内の施条溝を追従するよう、周囲に出っ張りを設けたライット・システムの砲弾
戊辰戦争で使用された四斤山砲の砲弾

理念

ライット・システムは、原理を考案したアントワーヌ・トゥルイユ・ド・ボーリュー中佐と、それを実現したライット将軍の協力により開発された[2]

仕様

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四斤山砲("Canon de montagne de 4 modèle 1859 Le Pétulant")。口径:86 mm、全長:0.82 m、重量:101 kg(砲車も含めると208 kg)、砲弾重量:4 kg shell.
:ライットシステムの八角形の施条

ライット・システムの新しいライフリングを施された大砲(施条砲)は、1859年の第2次イタリア独立戦争で初めて使用された[3]。これらの砲は、従来使用されていた滑腔砲に比較して相当に改良されていた[3]榴弾榴散弾ぶどう弾共に3000 mの射程を有していた。これが戦場での最初の施条砲の使用であると見られている[4]

ライット・システムは前装砲で、砲弾の炸裂距離は2つだけ設定できた。砲弾は1847年のフランソワ・タミシエ大尉が発明した方式を元にしており、椎の実形で砲塔内腔の溝に沿うように、小さな突起が設けられた。既存の滑腔砲、例えば12ポンドナポレオン砲なども、このシステムにあうように施条が施された[5]。ライット・システムには、新たに施条が施されたライット12、ライット16及びライット24攻城砲、ライット2及びライット4野砲、ライット12及びライット24攻城砲、ライット4山砲(四斤山砲)が含まれる。

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砲制式名称の変更

ライフリング(施条)を施し、従来の球形弾に代わって長形弾が使用できるようになったため、同じ口径でも旧型砲のおよそ2倍の重量の砲弾を使用できるようになった。施条によるジャイロ効果で弾道が安定し、長形弾を空気抵抗が小さい姿勢で飛ばせるため、同一装薬量でより遠くまで砲弾を飛ばすことが可能であり、大重量の砲弾になっても装薬量はあまり増加する必要がなかった。従来は、砲を表す数字は砲弾重量をリーブル(フレンチ・ポンド)で示したものであったが、ライット・システムではキログラム(kg)で示すようになった。例えば、12ポンドナポレオン砲の砲弾重量は4.1kgであったが、施条を施すことにより11.5kgの砲弾を使用できるようになった[6]。火砲の場合、日本語名称の「斤」は、一般的には弾丸重量をポンド単位で指すが、四斤山砲はライットシステムの砲であるため、砲弾重量は4ポンドではなく4kgである。

廃止

ジャン=バプティスト・ヴェルシェール・ド・ラフィエ(Jean-Baptiste Verchère de Reffye)が1870年に後装施条砲を開発したことにより、ライット・システムは廃止された。

参考資料

ギャラリー

関連項目

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