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ラグラン伯爵
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ラグラン伯爵(英: Earl of Ruglen)は、かつて存在したイギリスの伯爵位。スコットランド貴族爵位。セルカーク伯爵家ヤンガーソンのジョン・ダグラス=ハミルトンが1697年に叙されたことに始まるが、女系の孫ウィリアム・ダグラスの死により1810年に廃絶した。
歴史

『オールド・Q』のニックネームで知られる好事家で、浪費家としても悪名高かった[1]。
ジョン・ダグラス=ハミルトン(1665-1744)は、初代セルカーク伯爵ウィリアム・ダグラス=ハミルトン[註釈 1](1634-1694)の四男にあたる人物である[2]。彼は1697年4月14日にラグラン伯爵(Earl of Ruglen)、リッカートン子爵(Viscount of Riccartoun)及びヒルハウス卿(Lord Hillhouse)に叙された[3][2][4]。一連の爵位はいずれもスコットランド貴族爵位である。また爵位には初代伯の男系子孫に加えて、その女系子孫も継承できる特別継承規定[註釈 2]が付与されていた[2][4]。初代伯は1739年に兄チャールズが死去すると、セルカーク伯爵位も併せて継承している[3]。彼の死後、爵位は特別継承規定に基づいてその娘アンが承継した。またセルカーク伯爵位は2代伯と3代伯の弟の孫ダンバーが相続した。
2代女伯アン(1698-1748)は第2代マーチ伯爵ウィリアム・ダグラスと結婚して、一人息子のウィリアムを儲けている。彼女ののちはウィリアムが爵位を継承することとなる[3]。
3代伯ウィリアム(1725-1810)は『オールド・Q』のニックネームで知られる好事家で、浪費家としても悪名高かった人物である[1]。彼は父が亡くなると、ラグラン伯爵位を継ぐ前にまず名門マーチ伯爵位を相続した[5]。続く1748年に母からラグラン伯爵位を継いだ。さらに1778年には、叔父の第3代クイーンズベリー公爵チャールズ・ダグラスが死去、これに伴ってクイーンズベリー公爵位を始めとする15の爵位の継承者となった[6]。しかし彼には子がなかったため、同人の死を以てラグラン伯爵以下3つの爵位はすべて廃絶した[2]。
他方、父系由来のマーチ伯爵は遠縁のウィームズ伯爵家へと流出した[5]。さらに女系継承を認めるクイーンズベリー公爵及びその従属爵位はバクルー公爵家に相続された一方、特別継承規定を持たないクイーンズベリー侯爵とその従属爵位はサー・チャールズ・ダグラスがその後を襲った[1][7]。
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ラグラン伯爵(1697年)
- 初代ラグラン伯爵(第3代セルカーク伯爵)ジョン・ダグラス=ハミルトン (1664–1744)
- 第2代ラグラン女伯爵アン・ハミルトン (1698–1748)
- 第3代ラグラン伯爵(第4代クイーンズベリー公爵)ウィリアム・ダグラス (1725–1810)(1810年にラグラン伯爵位廃絶)
脚注
参考文献
関連項目
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