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ラモン・エレディア
アルゼンチンのサッカー選手 ウィキペディアから
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ラモン・アルマンド・エレディア・ルアルテ(Ramón Armando Heredia Ruarte、1951年2月26日 - )は、アルゼンチン・コルドバ出身の元同国代表サッカー選手、元サッカー指導者。現役時代のポジションはDF。
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経歴
アルゼンチンのコルドバに生まれ、サン・ロレンソ]でプロデビューを果たし、1973-74シーズン開幕前にアトレティコ・マドリードへ移籍した。アトレティコ・マドリードでは、ルイス・アラゴネス監督の下、CBのレギュラーとして1974-75シーズンのトヨタカップ優勝やプリメーラ・ディビシオン優勝に貢献した[1]。しかし、1976-77シーズンからルイス・ペレイラにレギュラーの座を奪われると、移籍を志願。レアル・マドリードやFCバルセロナからのオファーが届いたが、国内クラブへの移籍を許可しなかったアトレティコ・マドリードの方針も重なり、アルゼンチン代表でチームメイトだったカルロス・ビアンチの勧誘によってパリ・サンジェルマンFCへ移籍した[2]。1980-81シーズン終了後に現役を引退。
アルゼンチン代表としては、1974年の西ドイツ・ワールドカップに出場。グループステージ全3試合に先発フル出場したが、1分2敗の成績で大会を後にした[3]。
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人物
現役引退後はスペインに移住し、古巣アトレティコ・マドリードのクラブ運営に携わっている。実子のフアン・エレディアはスペイン国内でアマチュアサッカー選手としてプレー、孫のチアゴ・エレディアは、レアル・マドリードのカンテラに所属している[4]。
関連項目
脚注
外部リンク
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