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ルキウス・マンリウス・ウルソ・ロングス
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ルキウス・マンリウス・ウルソ・ロングス(ラテン語: Lucius Manlius Vulso Longus, 生没年不詳、紀元前3世紀)は、共和政ローマの政治家、将軍。第一次ポエニ戦争に従軍した。
経歴
紀元前256年執政官に選出されたが、同僚執政官のクィントゥス・カエディキウスが任期中に死去し、補充執政官としてマルクス・アティリウス・レグルスが選出された[1]。彼らはカルタゴ海軍との小競り合いに勝利すると、ローマ海軍の増強に努め、330隻を率いてシチリア島のメッサナ(現メッシーナ)へ入港[2]。その後エクノムス岬の戦いでカルタゴ海軍350隻と戦い勝利した。
更に彼らはアフリカに上陸し、街を一つ攻略(アスピスの戦い)、レグルスはそのまま駐屯し、ウルソは捕虜と戦利品を持ってローマに戻り[3]海軍凱旋式の敢行が許された[1]。
紀元前250年に再び執政官に就任すると、200隻の艦隊を率いてリリュバエウムを包囲した(リルバイウムの戦い)[4]。カルタゴ側の傭兵部隊の裏切りがあったものの、守将ヒミルコは良く守り、年を越した。
出典
参考文献
関連項目
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