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ロバート・テイラー (俳優)
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ロバート・テイラー(Robert Taylor, 1911年8月5日 - 1969年6月8日)は、アメリカの俳優。ネブラスカ州フィリー出身。本名はスパングラー・アーリントン・ブルー(Spangler Arlington Brugh)。
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来歴
医者の家庭に生まれ、ドアン・カレッジで音楽(チェロ)を専攻[1]。友人とトリオを組んでラジオ番組に出演した。のち恩師の移動に伴いカリフォルニア州ロス近郊クレアモントのポモナ・カレッジで学び、1930年代に入ると、演劇を志望する。舞台『旅路の果て』に出演したところをメトロ・ゴールドウィン・メイヤーにスカウト、1934年に7年の契約を結ぶ。
映画デビューは20世紀フォックス社に貸し出しされた『Handy Andy』、短編映画で初主演し、1936年には早くもマネー・メイキング・スターの第4位にランクされる。その水際立った美男子ぶりからグレタ・ガルボ、ジョーン・クロフォード、バーバラ・スタンウィックなど当時第一線で活躍した女優たちからの希望で彼女たちの相手役をつとめた。中でも1937年に共演したスタンウィックとは、その後恋に落ちて1939年に結婚[2]。またキャリアも1940年、ヴィヴィアン・リーと共演したメロドラマの名作『哀愁』が決定打となり、ハリウッドに確固たる地位を築く。
順風満帆なスター人生と思われたが、1944年に『Song of Russia』で親ソ的な指揮者を演じたのが原因で、1947年に下院非米活動委員会に召喚され[3][4]、そこで思想的背景を否定し、アメリカとハリウッドに忠誠を誓うが、当時ハリウッドで多くの俳優に暗い影を落とした赤狩りは、テイラーもその例外ではなかった。1951年、『クォ・ヴァディス』が大ヒットし、テイラーもアクション・スターとしても人気を博す。1951年にスタンウィックと離婚[5]。1954年にはウルスラ・ティースと結婚[6]、二人の子宝に恵まれる。1959年から3年間続いたテレビシリーズ『ミステリー61』に主演。1961年にMGMとの契約が切れてからは精彩を欠き、1969年に肺ガンにより世を去った。
彼の功績を記念して、MGM撮影所の建物の一つがロバート・テイラー・ビルと名づけられていたが、50人の脚本家たちが彼は非米活動委員会で仲間を名指しした人物だとしてロビー活動をした結果、1989年にジョージ・キューカー・ビルと改称された。
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主な出演作品
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関連項目
参照
外部リンク
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