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ロバート・マーガリス

アメリカの男子競泳選手 ウィキペディアから

ロバート・マーガリス
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ロバート・マーガリス(Robert Margalis, 1982年2月8日 - )は、アメリカ合衆国フロリダ州クリアウォーター出身の元男子競泳選手。現役時代は主に個人メドレー自由形で活躍した。全米オリンピック選考会で3位が3回と、あと一歩のところでオリンピックアメリカ代表になることはできなかったが、世界選手権世界短水路選手権など多くの国際大会に出場し、世界短水路選手権、パンアメリカン競技大会パンパシフィック選手権ではメダルを獲得した。1000y自由形と4×200mフリーリレーの元短水路アメリカ記録保持者。妹のメラニー・マーガリスも競泳選手。

概要 ロバート・マーガリス, ニックネーム ...
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経歴

要約
視点

生い立ち

両親のボブとキャリンの下に生まれる[2]。2歳年下のステファニー、10歳年下のメラニーと、2人の妹を持つ3人兄妹の長男として育った[3]

1995年に500y自由形で4分47秒65の年齢別(11-12歳)短水路アメリカ記録[4]、クリアウォーター高校(Clearwater High School)時代の1997年に400m個人メドレーで4分23秒26の年齢別(15-16歳)アメリカ記録を樹立した(詳細は後述)。

ジョージア大学での活躍

高校卒業後はジョージア大学に進学。2年生の時にNCAA選手権の400y個人メドレーをジョージア大学新記録の3分39秒92で制し、NCAA選手権の個人タイトルを獲得した史上4人目のジョージア大学男子競泳選手となった。なお、この時の記録はチェイス・カリッシュに破られるまで11年間大学記録として残った[1]。また、SEC選手権では2002年に1650y自由形、2003年に500y自由形を制し、2003年のSEC年間最優秀水泳選手にジョージア大学の男子競泳選手として初めて選出された[5]。2002年から2005年の4年間でオール・アメリカ英語版には16回選出され、4年間全てでチームMVPを獲得した。2004年に卒業し、消費者経済学学士号を取得した[1]

1997年全米オープン

1997年12月、インディアナポリスで開催された全米オープンに出場。400m個人メドレーで4分23秒26をマークし、1985年にデイヴィッド・ウォートン英語版が樹立した4分24秒56の年齢別(15-16歳)アメリカ記録を塗り替え、この種目のアトランタオリンピックメダリストなどを破って優勝した[6]。マーガリスは年齢別(15-16歳)アメリカ記録を最終的に4分23秒26まで更新したが、この記録はマイケル・フェルプスによって塗り替えられた[7]

2000年全米オリンピック選考会

2000年8月、インディアナポリスで開催された全米オリンピック選考会に出場。400m・1500m自由形、200m・400m個人メドレーの4種目に出場し、初出場ながら400m・1500m自由形の2種目で表彰台に上ったが、2位にそれぞれ3秒18と4秒43及ばず、シドニーオリンピックアメリカ代表入りを逃した[8]

2003年パンアメリカン競技大会

2003年8月、サントドミンゴで開催されたパンアメリカン競技大会英語版に出場。400m個人メドレーを4分19秒09の自己ベストで制し、自身初の主要国際大会メダルとなる金メダルを獲得した[9]

2004年全米オリンピック選考会

2004年7月、ロングビーチで開催された全米オリンピック選考会に出場。200m・400m・1500m自由形、200m個人メドレーの4種目に出場し、400m・1500m自由形、200m個人メドレーの3種目で決勝に進出したが、それぞれ6位、5位、7位に終わり、アテネオリンピックアメリカ代表入りを逃した[10]

2006年パンパシフィック選手権

2006年8月、ビクトリアで開催されたパンパシフィック選手権に出場。400m個人メドレーでは4分10秒47の大会新記録で優勝したマイケル・フェルプスに3秒38及ばなかったものの、3位のチアゴ・ペレイラ英語版に4秒59差をつけて銀メダルを獲得した[11]

2007年フロリダ・シニア選手権

2007年3月、フロリダ・シニア選手権の1000y自由形で8分42秒64をマークし、2001年にクリス・トンプソン英語版が樹立した短水路アメリカ記録(8分44秒11)を塗り替えた[12][13]。この記録は2008年にエリック・ベント英語版によって8分36秒49に塗り替えられた[14]

2008年世界短水路選手権

2008年4月、マンチェスターで開催された世界短水路選手権に出場。400m個人メドレーではディフェンディングチャンピオンライアン・ロクテに0秒53及ばなかったものの、3位のディンコ・ユキッチ英語版に2秒66の差をつけて銀メダルを獲得した[15]。4×200mフリーリレーでは決勝で第2泳を務め、第1泳のライアン・ロクテ、第3泳のラーセン・ジェンセン英語版、第4泳のダグ・ヴァン・ウィーオランダ語版と共に7分00秒19の短水路アメリカ新記録を樹立したが[16]、メダルに1秒80及ばず4位に終わった[17]

2008年全米オリンピック選考会

2008年6-7月、オマハで開催された全米オリンピック選考会に出場。200m・1500m自由形、200m・400m個人メドレーの4種目に出場し、1500m自由形、200m・400m個人メドレーの3種目で決勝に進出したが、それぞれ7位、6位、3位に終わり、2大会ぶりに表彰台に上るも北京オリンピックアメリカ代表入りを逃した[18]。なお、400m個人メドレーでは1位のマイケル・フェルプスが世界新記録の4分05秒25、2位のライアン・ロクテも従来の世界記録(4分06秒22)を上回る4分06秒08をマークしたため、2位と3位は7秒77の大差がついた[19]

2012年全米オリンピック選考会

2012年6-7月、オマハで開催された全米オリンピック選考会に出場。200mバタフライ、200m・400m個人メドレーの3種目に出場したが、それぞれ準決勝16位、準決勝13位、8位に終わり、ロンドンオリンピックアメリカ代表入りを逃した[20]

トップレベルの競技から引退後

2012年全米オリンピック選考会後にホームブルーイングへの挑戦を決意。実際にやってみてクラフトビール自家醸造が楽しいことに気づいたロバートは、カリフォルニア州フラートンのブートレガーズ・ブルワリー(ビール醸造所)に頼み込んでボランティアで働き始めた。そして2012年11月には樽の洗浄の仕事に就くと、毎日100~200個の樽を掃除するという単調な仕事を頑張って続けた結果、約1年後にはセラーマンに昇進した。セラーマンに昇進してから数カ月後には醸造家、2015年の夏には主任醸造家、2016年1月に醸造長と昇進していき、2016年4月のロサンゼルス国際ビールコンペティション(Los Angeles International Competitions)ではロバートの「ファジー・ニンジャ・アルマジロ(Fuzzy Ninja Armadillo)」がアメリカンスタイル・ブラックエール部門で銀メダルを獲得した[21]。しかし2021年6月、2歳の双子の息子と過ごす時間を増やすためにビール醸造業を諦めた[22]

エリート競泳選手のキャリアを終えた後は妻のベスと共にオープンウォータースイミングの大会などに出場している[23][24]

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人物

家族

成績

要約
視点

主要国際大会

世界水泳連盟ウェブサイトなど参照[29]

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全米オリンピック選考会

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NCAA選手権(全米学生選手権)

yはヤードを意味する。2004年はmで実施。全て短水路の記録。

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記録

樹立した短水路アメリカ記録

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自己ベスト

SwimRankings.net[34]、全米水泳連盟のウェブサイト参照[2]

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脚注

外部リンク

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