トップQs
タイムライン
チャット
視点

ロベルト・ヤルニ

クロアチアのサッカー選手 ウィキペディアから

Remove ads

ロベルト・ヤルニRobert Jarni1968年10月26日 - )は、クロアチアチャコヴェツ出身の元同国代表サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはMFDF

概要 ロベルト・ヤルニ, 名前 ...
Remove ads

クラブ経歴

1986年からハイドゥク・スプリトで5年間プレーした[1]。1991年にイタリアのASバーリに移籍、レギュラーを獲得するが、チームはセリエBに降格した。

1993-94シーズン、トリノでレギュラーとしてプレーした後、翌1994-95シーズンにユヴェントスに移籍、ここではリーグ制覇、コッパ・イタリアの2冠を獲得、第32節のジェノア戦ではスーパーゴールを決めたが[2]、外国人枠の問題から限定された出場機会となった[2]

1995-96シーズンレアル・ベティスへ移籍。ここではチームの中心選手として活躍した。フィニディ・ジョージとの両ウィングからのドリブル突破で活躍を続け、98試合で19ゴールを挙げた[1]。しかし、高額な年俸がネックになりレアル・マドリードへ移籍。1999-00シーズンにはUEFAチャンピオンズリーグ優勝を経験した。

代表経歴

クラブレベルでは一応の成功を収めたが、代表選手としては歴史に翻弄され、1990年、旧ユーゴスラビア代表として1990 FIFAワールドカップではグループリーグのコロンビア戦に出場したが、母国の政治情勢により、UEFA EURO '921994 FIFAワールドカップの出場資格を剥奪された。6年間、国際舞台から姿を消したヤルニだったが、1998 FIFAワールドカップクロアチア代表として出場。準々決勝のドイツ戦では決勝ゴールを奪い[3]。グループリーグ初戦のジャマイカ戦、3位決定戦のオランダ戦でそれぞれ1アシストを決めるなど、チームの中心の一人として、準決勝進出、チームの3位に貢献した[3]

2002 FIFAワールドカップではグループリーグ第2戦のイタリア戦でクロスでオリッチの得点をアシストして勝利したが、グループリーグ敗退となった後、現役引退を発表した。代表チームでは81試合に出場した[4]

Remove ads

引退後

引退後、一時はフットサルの選手として活躍していた。2007年8月からハイドゥク・スプリトの監督に就任した。その後NKイストラ1961FKサラエヴォプスカシュ・アカデーミアFCの監督を歴任し、2017年からU-19クロアチア代表の監督を務める。

プレースタイル

強烈な左足のシュートに加え、抜群のスタミナと高精度のクロス[1]、100メートル11秒という圧倒的なスピードを武器に、左サイドを疾風の如く駆け上がり[5]、活躍していた。彼が代表を去って以降、同じレベルでプレー出来る代表選手が現れないとされている[6]

代表歴

出場大会

試合数

さらに見る ユーゴスラビア代表, 国際Aマッチ ...
さらに見る クロアチア代表, 国際Aマッチ ...
Remove ads

脚注

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads