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ロマヌス (ローマ教皇)
9世紀のローマ教皇 ウィキペディアから
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ロマヌス(Romanus、9世紀生れ、没年不明)は、ステファヌス6世の後を継いで897年8月に就任し、同年11月に退位したローマ教皇[1]。
イタリア半島中部に位置するガッレーゼで生まれた[1]。いつ生まれたか不明で、経歴についても、ローマのサン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ聖堂の司祭枢機卿だったことしか分からない[1]。
897年1月、教皇ステファヌス6世が先々代の教皇フォルモススを死後に死体裁判にかけた。ステファヌス6世はフォルモススの支持者によって同年8月に殺される。その後を継いで教皇になったのがロマヌスである[1]。ロマヌスの在位は同年11月までのわずか4か月だった[1]。在位中の情報もわずかで、グラードの大司教であるヴィタリスに教皇代理を表すパリウムを授与したことと、ルシヨンのエルヌとスペインのジローナの司教区を司教の要請に応じて司教の所有地と承認したことぐらいしか分からない[1]。没年不明だが[1]、退位した897年11月に死去した[2][3]ともされる。
真偽不明だが、『教皇の書』(教皇列伝)の更訂本の一つによると、退位後「修道士になった」すなわち修道院に閉じ込められたという伝承がある[1]。もし幽閉されたのであり、退位は強制的と仮定した場合には、退位はフォルモスス派による[1]という説と、おそらくステファヌス6世派が退位させた[2]という説があり、両説が対立している。フォルモスス派による退位説は、フォルモススの名誉挽回のためにロマヌスより積極的に動く人物を教皇にすえるためと推測している[1]。
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脚注
関連項目
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