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ヴォイチェフ・ヴァイス

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ヴォイチェフ・ヴァイス
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ヴォイチェフ・ヴァイスポーランド語: Wojciech Weiss, 1875年5月4日 - 1950年12月7日)は、ヤング・ポーランド運動英語版において卓越したポーランド人画家、素描家。

概要 ヴォイチェフ・ヴァイス, 生誕 ...

ヴァイスはオーストリア=ハンガリー帝国(現ルーマニア)に亡命したポーランド人夫婦、スタニスワフ・ヴァイス(Stanisław Weiss)とマリア・コパチニスカ(Maria Kopaczyńska)の間にブコビナで生まれた。音楽の勉強を辞したのち、パリローマフィレンツェで美術を学び、ポーランドクラクフ美術学校にてレオン・ヴィチュウコフスキ英語版(Leon Wyczółkowski)に師事する。また1907年より同校の教授、学長を務める。

青年期よりデカダン派の小説家スタニスワフ・プシビシェフスキ(Stanisław Przybyszewski)の芸術哲学の影響を受け、元々は歴史や神話をテーマとした作品を制作していたが、のちにエドヴァルド・ムンクヤツェク・マルチェフスキらの多大な影響を受けて表現主義的手法へと移行、のちにウィーン分離派に所属した。とりわけ、雑踏でのスケッチ、彼が住まいとしたストシジュフ英語版プワシュフカルヴァリア・ゼブジドフスカといった町の風景画肖像画ヌード絵画を得意とする。また写真にも情熱を注ぎ、数百の家族写真を残した[1]

また、ポーランドにおけるアール・ヌーボーのポスターデザインの第一人者でもある。晩年にはポーランドにおける社会主義リアリズム絵画への幾つかの重要な貢献を果たした。

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没後

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ヴォイチェフ・ヴァイス

彼の死後、作家名 “アネリ”(Aneri)としても知られる妻イレーナ・ヴァイソワ(Irena Weissowa)は、息子のスタニスワフとともにクラクフに “ヴォイチェフ・ヴァイス美術館” の創立や国立クラクフ美術館英語版での常設展示の実現に努めたが、当時は双方ともやむを得ず実現しなかった。2006年、ヴァイスの孫娘により “ヴォイチェフ・ヴァイス美術館財団” が設立されている。

日本美術の影響

ヴァイスは油画、グラフィックデザイン、パステル画、水彩画、素描など多彩な作品を残したアーティストである。アカデミーではヤツェク・マルチェフスキ、レオン・ヴィチュウコフスキらに師事し大きな影響を受けた。ヴァイスの初期作品は彩度の抑えられた退廃的雰囲気を持つものであったが、1905年を境に白を基調とするようになり、次第に色彩豊かになってゆく。絵のテーマは風景やヌードが主であったが、より大きな作品に用いたのはスタニスワフ・プシビシェフスキの散文詩にインスピレーションを受けた象徴主義的な作風であった。

カルヴァリア・ゼブジドフスカに小さいながら絵のように美しい家を買ったことがヴァイスの作家人生の転機となった。自然とより近くにふれあうようになったことで、日本美術の影響が作品に現れはじめたのである。ヴァイスは浮世絵など日本の木版画における美学を徹底して学び、そこから得た技法をポーランドの地で実践した。極東の美術に対する情熱は、彼の親友でポーランド随一の美術品収集家およびプロモーターであったフェリクス・“マンガ”・ヤシェンスキ(Feliks Jasieński (ポーランド語版) )に受け継がれた[2]

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受賞・受勲

1914年

1936年

– ポーランドの芸術分野においての目覚ましい貢献に対して[4]

1937年

  • 宗教および国民教育大臣賞(Ministerstwo Wyznań Religijnych i Oświecenia Publicznego (ポーランド語版)
– ポーランドの国家的芸術賞

代表作

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関連項目

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脚注

参考文献

外部リンク

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