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ヴォスクレセンスカヤ年代記

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ヴォスクレセンスカヤ年代記[注 1]ロシア語: Воскресенская летопись)は、16世紀に編纂された年代記集成である[3]。記述される年は852年(なおその記述の前に、伝説や系譜資料が付されている)から1541年までである[4]。 また、歴代モスクワ大公に関わる主要な事件を記載しており、編集に際し、豊富な資料や情報源のある中で書かれたルーシの年代記(レートピシ)の一つである[5]

年代記の名称は、その写本の一つが、ノヴォイエルサリムスキー(新エルサレムの意)修道院(ru)のヴォスクレセンスキー(キリスト復活の意)大聖堂に所蔵されていたことにちなむ[3]

ヴォスクレセンスカヤ年代記は、4人の(あるいは4グループの)編集者の手を経て完成している。

  • 1)852年 - 1533年:編者はモスクワ大公ヴァシリー3世の支持者であったと推測される。
  • 2)1537年まで
  • 3)1541年まで
  • 4)また、1542年 - 1544年の間に編纂がなされ、その編者はシュイスキー家(ru)の支持者であったと推測される[5]。ただしボリス・クロス(ru)は、その説は誤謬であるとし、また1541年の項にはモスクワ総主教イオアサフ(ru)が編纂作業に参加していると述べている。

年代記編纂の下地になった先行資料として、モスクワ年代記集成、ロストフ年代記集成(ロストフ年代記集成は1489 - 1503年の記述において)の利用が指摘されている。また、写本のうちのカラムジン写本は、1542 - 1552年の記述がリヴィウ年代記(ru)を元に追加され、1560年までの事象が記載されている[5]

現在、13の写本が発見されているが、そのうち完本は5写本のみである[5]。ヴォスクレセンスカヤ年代記の刊本(ロシア年代記全集(ru)所収)は、この5写本に基づいて行われた。

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脚注

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