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三軒長屋

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三軒長屋』(さんげんながや)は古典落語の演目。

高利貸しの悪だくみを、頭(とびがしら)の大掛かりな奇策が退けるという内容。

原話は中国の代に書かれた笑話本笑府』第六巻・殊稟部の「好静」。原話の「好静」は、二件の鍛冶屋に挟まれた『静寂を好む人物』が、お金の代わりに御馳走をする話。日本に入って1826年(文政9年)に『是はもつとも』という題で笑話本に収録され、現在の形に近くなった。

4代目橘家圓喬が得意とした演目である。

あらすじ

要約
視点

舞台は三軒続きの長屋。住んでいるのは、向かって右端が鳶頭の政五郎、左端が「一刀流」の看板を掲げて剣術道場を開いている楠運平橘正国(くすのき うんぺい たちばなの まさくに)という浪人。この二人に挟まれて高利貸し・伊勢屋勘右衛門の妾が住む。

ある日、妾が勘右衛門に「両隣がうるさくって血のぼせがするから引っ越したい」とせがむ。鳶頭の家では日ごろから荒っぽい若い者が出入りして、酒を飲んでは大騒ぎ、時期となると朝から木遣りの稽古を始めてやかましい。対する剣術師範の家は、大勢の門弟が明け暮れ稽古、これまたうるさいことこの上ない。

たかが喧騒に負けて引っ越すのも馬鹿らしいと考えた勘右衛門は、長屋そのものが彼の家質[注釈 1]となっていることを利用し、抵当流れとなったら両隣の借り主を追い出して長屋を一軒の妾宅にするつもりだから、と妾に話す――この目論見で妾をなだめているところを聞いたこの家の女中が、井戸端で話してしまったおかげで計画は筒抜けとなる。

怒ったのが鳶頭のかみさんで、「家主ならともかく、伊勢屋の妾ごときに店立て[注釈 2]されるなんて! あたしは嫌だよ!」と亭主を焚きつける。鳶頭は少し考えていたが、翌朝になると羽織をしょって楠運平の道場へ赴き、店立てを注進した。運平は激上、「門弟一同率いて勘右衛門と一戦に及ばん、まずは勘右衛門方へ地雷火を仕掛け……」と息巻いた。そんな運平を鳶頭はなだめて耳打ちする。

翌日、伊勢屋に現れた運平は「拙者、道場が手狭になった故、転居をいたすことに相成り申した」と口上を述べた。しかし懐が厳しいため、費用捻出を目的に千本試合を催すことにしたと話す。他流・多門の剣客が集まって金を出して試合を催し、それを集めて転居費用とするという。「本来は竹刀での勝負でござるが、意趣遺恨のある場合は真剣勝負もござるゆえ、首の二つや三つ、腕の五本や六本はお宅に転げ込むかもしれませぬ……その時はどうぞご容赦を」

話を聞いた勘右衛門は震え上がって「引っ越しの金をお出ししますから、試合はどうかご勘弁を」と平身低頭した。50両を受け取った運平が引き上げると、入れ違えに伊勢屋に鳶頭が現れる。「引っ越すことになったんですがね、金がねぇんで花会[注釈 3]を開こうかと思うんですよ」

ただでさえ気性の荒い若い者どもが、酒を飲むことについて、鳶頭はこう脅した。「気をつけはしますがね、何しろ、肴に鮪の刺身を出すんで、おあつらえ向きに包丁があるじゃありませんか。斬り合いになって首の二十や三十……」

勘右衛門は「脅かしてもだめだよ、引っ越し料が欲しいのなら正直にそう言え」と、鳶頭にも50両を与える。帰ろうとする鳶頭に、勘右衛門「そう言えば、剣術の先生も同じような事を言っていたんだよ。お前さん方、いったいどこへ越すんだい?」と尋ねると、「へえ、あっしが先生のところへ越して、先生があっしのところへ」

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歌舞伎化

1905年(明治38年)に、8代目市川八百蔵の主演で歌舞伎化された。

脚注

参考文献

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