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上原種美
日本の教育者・官僚 ウィキペディアから
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上原 種美(うえはら たねよし、1885年(明治18年)1月1日[1] - 1950年(昭和25年)10月30日[2])は、日本の教育者、文部官僚。

経歴
山梨県出身。1909年(明治42年)、東京帝国大学農科大学を卒業[1]。農商務省嘱託、文部属、文部省督学官、同図書官、同事務官、実業学務局農業教育課長などを歴任し、その間東京高等師範学校教授を兼ねた[1]。1921年(大正10年)、三重高等農林学校校長に就任し、1939年(昭和14年)には東京農業教育専門学校校長となった[3]。戦後の1946年(昭和21年)から霞ヶ浦農科大学学長を務めた[4]。
その他、日本農業教育会会長、大日本教育会副会長、全国学農連盟副会長、実業教育振興会理事長、日本青年館理事などを務めた[4]。
著書
- 『最新 鶏卵論』(博文館、1910年) 逢阪重助と共著
脚注
参考文献
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