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上文司家住宅
山梨県富士吉田市にある明治時代の住宅 ウィキペディアから
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上文司家住宅(じょうもんじけじゅうたく)は、山梨県富士吉田市上吉田、北口本宮冨士浅間神社の門前に建つ明治時代の住宅。富士講の御師の住宅であり、2017年10月に国の登録有形文化財(建造物)に登録された[1][2]。
概要
御師の住宅(宿坊)として代表的な建築物である。江戸時代に86軒[3]連なった富士山北口(富士吉田市)御師住宅の一軒であり、上文司家が本住宅にて400年間御師を営んできた[3][4]。
上文司家住宅は、北口本宮富士浅間神社の参道から続く通称富士みち(国道137号と国道139号の重複区間)の西、細長い敷地内に建つ。表通りに面した石柱門から、タツミチ(細長い通路)を進み、中門をくぐり、ヤーナ川(禊ぎを行う小川)を渡り、その先正面に建つ。建物は、母屋の後方に渡廊下で御神前が接続する。富士山御師の形式をよく残している[2]。
一般的な富士山御師同様、単なる住宅ではなく、宿坊、御神前を備え、宿坊にて参拝者(登山者)に宿を提供し、世話を行い、御神前にて祈祷を行い、参詣者と神仏の仲立ちを行っていた[5]。
上文司家住宅は、個人宅のため、非公開。
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歴史
御師上文司家は約400年続くと伝えられている[3]。明治時代(1868〜1877年)に御師の上文司家により主屋が建てられた[2]。保存状態が良く歴史的価値が高いため、2017年(平成29年)10月、国の登録有形文化財に登録された。
脚注
関連項目
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