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上杉頼方
室町時代前期の守護大名、越後国守護、山浦上杉家2代・越後上杉家4代当主 ウィキペディアから
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上杉 頼方(うえすぎ よりかた)は、室町時代前期の守護大名。越後国守護。山浦上杉家2代・越後上杉家4代当主。
略歴
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上杉房方の次男として誕生。当初は山内上杉家の上杉憲方の子・憲重を初代とする山浦上杉家を継いだ[注釈 1]。
応永28年(1421年)に父・房方が没し、翌年には跡を継いだ兄・朝方も亡くなったため、頼方は甥の房朝の後見人として越後守護を継承した。しかし、この時期室町幕府と4代鎌倉公方・足利持氏の関係は最悪であり、頼方は弟・憲実が関東管領であることから鎌倉派ではないかと疑われた。応永30年(1423年)10月に漸く幕府から赦免された頼方は、越後の上杉頼藤・中条房資に指令を送り、鎌倉派の守護代・長尾邦景を討つよう命じた(越後応永の大乱)。
ところが、討伐を命じられた越後国人の足並みは乱れており、邦景の裏工作で簡単に寝返る始末であり、なかなか事が収まらずにいるうちに応永31年(1424年)、幕府と鎌倉公方が和睦、12月には房朝を畠山満家に奪い取られ、大義名分と実権を失った。応永33年(1426年)には邦景派の逆襲を退けるもこれが限界であり、まもなく頼方は守護を罷免され、房朝に改められ、邦景も赦免された。以降の消息は不明である。
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脚注
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