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丘をこえて

2001年の日本のテレビドラマ ウィキペディアから

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丘をこえて』(おかをこえて)は、2001年に放映された日本のテレビドラマ北海道美瑛町の自然を舞台として、娘の死という心の傷を抱えた家族の触れ合い[1]思春期の青年の成長、家族の再生と絆を描いた単発ドラマである[2][3]北海道テレビ(HTB)が製作し、2001年8月25日テレビ朝日系列で全国放映された。主演は伊藤淳史[4]

概要 スペシャルドラマ丘をこえて Over the hill, ジャンル ...
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あらすじ

北海道美瑛町。ジャガイモ農家の三ツ木一雄の一家は幸せな家族であったが、長女の玲子がトラクター事故に遭って死亡という悲劇に見舞われる。一雄の妻の佐都子は傷心から家を出て、札幌で1人暮しを始める[5]

それから7年後。一雄の息子で玲子の弟の彰は高校3年となり、その進学問題のため、佐都子が久しぶりに美瑛へ帰って来る。彰は両親のぎこちない会話に対して、2人が見せかけだけの家族を演じていると感じて、思わず家を飛び出す[6]

そこへ、死んだはずの玲子が姿を現す[5]。一家はあり得ないことに戸惑いつつも、再会を喜び、家族としての絆を取り戻していく[5]。しかしやがて、玲子が一家のもとを去る日が訪れる[7]

佐都子は、玲子を喪ってからは自分も死んだも同然だったといい、自分も玲子と共に行くと言い出す。そして、かつて玲子を死なせたトラクターは、自分が運転していたこと、自分が玲子を死なせたことを吐露する[8]

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キャスト

スタッフ

  • 企画・原案・プロデューサー - 四宮康雅(北海道テレビ放送)[10]
  • 脚本 - 遠藤彩見[11]
  • 演出 - 多田健(北海道テレビ放送)[11]
  • 音楽 - 増本直樹[11]
  • 制作 - 北海道テレビ放送[12]

製作

舞台である美瑛町は、年間百万人以上もの観光客が訪れる観光地として知られる一方で、土地の傾斜のために農作業が困難で、年間約10件のトラクター事故が起きている。プロデューサーの四宮康雅は美瑛で、「この風景の美さは農家の苦闘の証であり、普遍のものではない」と聞き、この言葉がドラマのモチーフとなった[13][14]

脚本家の遠藤彩見は2000年10月末に、四宮康雅から「夏の美瑛を舞台にしたファンタジー」としてドラマの企画を持ちかけられ、「雪の降る前に」と美瑛に取材に訪れたものの、その当日に初雪に見舞われたが、一面の銀世界の景色を見たことで、却って「ここならどんな奇跡が起きても不思議ではない」との気持ちにさせられたという[9]

撮影は美瑛町で、2001年6月22日から6月末にかけて行われた[15][16]。遠藤彩見は美瑛を舞台とすることに拘っていたが[17]、実際の畑を撮影に用いれば、出演者や撮影陣が畑に立ち入り、農家に大損害を与えかねない。そこで北海道札幌市のイベント企画会社であるアズビィクリエーション有限会社が協力に乗り出し、牧草地に必要なものを植えることで、撮影のための環境が実現した[14]。ジャガイモ畑の白い花が一斉に咲く重要な場面では、美瑛の大地主が3ヘクタールもの畑を提供[17]、実際に畑に花を植えた上で撮影が行われた[18]

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作品の評価

ビデオリサーチによる札幌地区の視聴率は、番組開始時は10%台だったが、番組が進むに連れて次第に高くなり、最高は15.1%、平均12.7%を記録した[19]。前作の『ひかりのまち』と比較すると、札幌地区では1ポイント減少したものの、関東、名古屋、仙台など各地区では前回を上回った[19]。奇しくも当日は同じ北海道内民放局の自主制作ドラマとして、北海道文化放送(UHB)による『ビデオレター 渇き』が放映されていたが、そちらは最高視聴率は9.0%であり、HTBに軍配が上がる形となった[19]

東日本放送で2001年9月に開催された放送番組審議会では、心象風景の描写と美瑛の風景によってファンタジードラマとして仕上がった点、台詞と場面展開の少なさによって却って視聴者側に考えさせる効果を出している点、出演者の好演が評価された[2]。一方では、時間経過の伝わりにくさや、結末の中途半端さを批判する声もあり、美瑛の美しい風景が出演者たちや物語よりも目立ちすぎる、との声もあった[2]

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脚注

参考文献

外部リンク

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