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中島徳松
日本の実業家、政治家 (1875-1951) ウィキペディアから
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中島 徳松(德松、なかじま とくまつ、1875年(明治8年)7月[1] - 1951年(昭和26年)2月10日[1])は、明治から昭和期の実業家、炭鉱経営者、政治家。貴族院勅選議員。筑豊御三家に続く炭鉱主[2]。旧姓・大野。

経歴
佐賀県杵島郡、のちの大町町[2]で大野惣太郎の二男として生まれる[3][4][5]。中島家の養子となり、1915年(大正4年)に分家した[3][4][5]。
1887年(明治20年)から筑豊炭田、糟屋炭田、佐賀県の炭鉱の経営を行った[1][4][5]。大日本石炭鉱業㈱取締役、中島鉱業㈱社長、昭和鉱業㈱社長、海老津炭礦㈱取締役、日満鉱炭㈱相談役、石炭統制会参与、日本石炭参与、石炭鉱業互助会相談役、西九州石炭統制組合相談役、福魚産業会長などを務めた[1][3][4][5]。
1946年(昭和21年)5月18日に貴族院勅選議員に任じられ[6]、同和会に所属して活動し、1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[1]。
脚注
参考文献
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