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中村秋香
日本の国文学者 ウィキペディアから
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中村 秋香[1](なかむら あきか[2]、1841年11月12日(天保12年9月29日) - 1910年(明治43年)1月29日)は、日本の国文学者、詩人、歌人。
唱歌の作詞を多く行い、新体詩人としても活躍した[3]。祖父は漢詩人の山梨稲川、長男は教育者で成蹊学園を創立した中村春二。
来歴
静岡藩藩士中村録翁の長男として生まれる。1860年(万延元年)、松木直秀の私塾に入り歌学を学ぶ。戸塚精斎に漢学を学ぶ[4]。
1871年(明治4年)、愛知県に仕官。1873年(明治6年)より教部省、内務省、文部省に奉職。1888年(明治21年)より東京高等女学校、東京女子師範学校、第一高等中学校の教諭を歴任[5]。1892年(明治25年)より1904年(明治37年)まで東京音楽学校の文学担当教員となり[6]、講義の他に唱歌の作詞を多く行う[7]。
1897年(明治30年)、宮内庁御歌所寄人となる。1902年(明治35年)、唱歌選定委員嘱託[8]。1910年(明治43年)、死去。享年70歳。墓所は染井霊園[9]。
森鷗外の妹小金井喜美子は女学校時代に中村の授業を受け、「痩せた小柄の更けて見える方」「黒板に書かれる字がひょろひょろとして、とても読みにくい」「先生には学校が終ってからも長くお附合いしましたが、お手紙も短歌も見事なものでした」と述べている[10]。
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主な作品
著作
唱歌
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脚注
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