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中西了将
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中西 了将(なかにし りょうすけ、1982年5月7日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、指導者。
来歴
北海道帯広市出身。東海大四高校を卒業後、法政大学へ進学。2004年の第16回アジア太平洋カップ登録メンバーに選出され、優勝を経験した。
大学卒業後の2005年4月にNECブルーロケッツに入団[1]。練習中に半月板損傷のアクシデントに見舞われ、入団1年目は膝の手術によりVリーグ出場を果たせなかった[2]。
2009年5月、NECの無期限活動停止による廃部に伴い、現役引退し社業に専念[3]。Vリーグでは在籍4年で通算4セットの出場に留まった[4]。
社業の営業職で多忙な日々を過ごし[3]、同年10月に当時V・チャレンジリーグの東京ヴェルディに選手登録したが、試合出場がないまま2011年に登録抹消となった[5][6]。
8年間働き続け、業績も高く評価をされるようになった頃、当時のNECレッドロケッツ監督の山田晃豊から「セッターを見て欲しい」と声を掛けられ、2017年、同チームのコーチに就任した[3]。
2020年、コーチを退任しチームディレクターに就任[7]。2022-23シーズンよりゼネラルマネージャーに役職変更[8]。2025年に退任[9]。
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所属チーム
選手
- 東海大学第四高等学校
- 法政大学
NECブルーロケッツ(2005-2009年)
東京ヴェルディ(2009-2011年)
指導者・スタッフ
NECレッドロケッツ/NECレッドロケッツ川崎
- コーチ(2017-2020年)
- チームディレクター(2020-2022年)
- ゼネラルマネージャー(2022-2025年)
脚注
外部リンク
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