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丸山忠行
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丸山 忠行(まるやま ただゆき、1942年(昭和17年)1月29日 - )は、日本の元プロボクサー。愛媛県松山市出身。アマチュア時代に1964年東京オリンピック日本代表選手ともなった。
経歴・人物
松山市立道後小学校では5・6年生時に山田宏臣(後に走幅跳の日本記録を樹立)と同級生で、第8回国民体育大会閉会式の際に催された松山市内小学校の招待400mリレーではともに優勝メンバーとなった[1]。山田は陸上競技選手として1964年東京オリンピックに出場しており、長岡民男によるとこの大会の日本選手団の中で「同じ小学校の、同じ学年の、同じクラス」だったケースは丸山と山田だけであるという[1]。
自衛隊体育学校在学中に[2]、1964年東京オリンピックに男子ヘビー級で出場し、1回戦で敗退した[3]。
1965年11月30日にミドル級のプロボクサーとして佐藤靖男戦でデビューするが 5回TKO負け。
脚注
関連項目
外部リンク
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