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主席宮廷画家 (イギリス)
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主席宮廷画家(しゅせききゅうていがか、英語: Principal Painter in Ordinary)は、イングランド王国、グレートブリテン王国、グレートブリテン及びアイルランド連合王国の官職。十数名の芸術家が歴任し、そのほとんどが肖像画家である。王宮画家とは別の官職であり、テューダー朝の国王専属画家(King's Painter)と類似した官職である。ニコラス・ヒリアードなども似たような役割を果たしたものの「主席宮廷画家」と正式に任命されることはなく、最初の任命は1689年に就任したジョン・ライリーとされる[1]。
主席宮廷画家の一覧
- サー・アンソニー・ヴァン・ダイク(フランドル人、1599年 – 1641年) - 1632年、毎年200ポンドと描かれた絵画毎の追加報酬で国王チャールズ1世と王妃ヘンリエッタ・マリア・オブ・フランスの主席画家(Principalle Paynter in Ordinary)に任命された[2][3]
- サー・ピーター・レリー(オランダ人、1618年 – 1680年) - 1661年、同じく毎年200ポンドの報酬で国王チャールズ2世の「肖像画家および絵描き」(Limner and Picture Drawer)に任命された[4]
- ジョン・ライリー(1646年 – 1691年) - 1681年から1689年まで「画家および絵描き」(Painter and Picture Drawer)を、1689年から1691年まで主席宮廷画家を務めた(ゴドフリー・ネラーと共同)[5]
- アントニオ・ヴェッリオ(イタリア人、1636年 – 1707年) - 1684年から1688年まで「主席第一画家」(Chief First Painter)を務めた[6][7]
- サー・ゴドフリー・ネラー(ドイツ人、1646年 – 1723年) - 主席宮廷画家(在任:1689年 – 1723年、うち1689年から1691年まではジョン・ライリーと共同)[8][9][10]
- チャールズ・ジャーヴァス(1675年 – 1739年) - 主席宮廷画家(在任:1723年 – 1739年)[11][12]
- ウィリアム・ケント(1685年 – 1748年) - 主席宮廷画家(在任:1740年 – 1748年)。主に室内装飾の設計で活躍[13][14][15]
- ジョン・シャックルトン(1767年没) - ジョージ2世およびジョージ3世の主席宮廷画家(在任:1749年 – 1767年)[16][17]
- アラン・ラムゼー(1713年 – 1784年) - 主席宮廷画家(在任:1767年 – 1784年)[18][19]
- サー・ジョシュア・レノルズ(1723年 – 1792年) - 主席宮廷画家(在任:1784年 – 1792年)[20][21]
- サー・トーマス・ローレンス(1760年 – 1830年) - 主席宮廷画家(在任:1792年 – 1830年)[22][23]
- サー・デイヴィッド・ウィルキー(1785年 – 1841年) - ウィリアム4世およびヴィクトリア女王の主席宮廷画家(在任:1830年 – 1841年)[24][25]
- サー・ジョージ・ヘイター(1792年 – 1871年) - ヴィクトリア女王の主席宮廷画家(在任:1841年 – 1871年)[26][27]
- ジェームズ・サント(1820年 – 1916年) - ヴィクトリア女王の主席宮廷画家(在任:1871年 – 1901年)[28]
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主席宮廷画家の自画像
- サー・アンソニー・ヴァン・ダイク(1623年)
- サー・ピーター・レリー(1660年)
- サー・ゴドフリー・ネラー(1685年)
- ウィリアム・ケント(1710年代、自画像ではなくウィリアム・アイクマンの作品とされる)
- アラン・ラムゼー(1737年)
- サー・ジョシュア・レノルズ(1776年)
- サー・トーマス・ローレンス(1787年頃)
- サー・デイヴィッド・ウィルキー(1804年/1805年)
- サー・ジョージ・ヘイター(1843年)
- ジェームズ・サント(1884年)
脚注
関連項目
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