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久邇家 (侯爵家)
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久邇家(くにけ[1])は、久邇宮邦彦王の第2王子で臣籍降下した久邇邦久が創設した華族の侯爵家[1]。
歴史
久邇宮邦彦王の第2王子久邇邦久は、大正12年10月に請願に依り臣籍降下して久邇の家名を賜り[2][3]、10月25日に華族の侯爵に列せられた[4]。夫人は前妻が島津忠済公爵の娘量子、後妻が松浦靖子爵の娘董子。しかしいずれも離婚に至っており、実子はなかった[2]。
邦久は歩兵大尉まで昇進した陸軍軍人だったが、昭和10年に死去[2]。三条西公正伯爵の次男実栄が養子相続して襲爵した[2]。
実栄の長男は之房(昭和32年5月26日生)、さらにその長男は之尭(平成3年11月18日生)である[2]。
系図
- 実線は実子、点線(縦)は養子。系図は『平成新修旧華族家系大成 上巻』に準拠[5]。
久邇邦久[† 1] | |||||||||||||||||
実栄[† 2] | |||||||||||||||||
之房 | 之宣(田口姓) | ||||||||||||||||
之尭 | |||||||||||||||||
系譜注
脚注
参考文献
関連項目
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