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五之上村

日本の新潟県西蒲原郡にあった村 ウィキペディアから

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五之上村(ごのかみむら)は、かつて新潟県西蒲原郡にあった1901年11月1日の新潟市への合併によって消滅し、現在は新潟市西蒲区の一部となっている。

概要 ごのかみむら 五之上村, 廃止日 ...

以下の記述は合併直前当時の旧五之上村に関しての記述であり、現在では名称等が異なる場合がある。なお、ここに記述されていない内容に関しては新潟市などの記事を参照。

沿革

地域

五之上村は、合併した村名を継承する以下の大字で構成される。

五之上(ごのかみ)
1889年(明治22年)まであった五之上村の区域。現在の新潟市西蒲区五之上。
五之上村受(ごのかみむらうけ)
1889年(明治22年)まであった五之上村受の区域。現在の新潟市西蒲区五之上。
卯八郎受(うはちろううけ)
1889年(明治22年)まであった卯八郎受の区域。現在の新潟市西蒲区卯八郎受。
遠藤村受(えんどうむらうけ)
江戸時代から1889年(明治22年)まであった村名。新川右岸、鎧潟郷下郷の低地上に位置する[1]
延享年間に開発の始まった御封印野新田の一部で、遠藤村請けで開発された区域。1753年(宝暦3年)に検地を受けて成立[1]
1889年(明治22年)から五之上村の大字となるが、以後の変遷は不明[1]
桑山村受(くわやまむらうけ)
江戸時代から1889年(明治22年)まであった村名。新川右岸、鎧潟郷下郷の低地上に位置する[2]
延享年間に開発の始まった御封印野新田の区域の一部で、1751年(宝暦元年)に検地を受けて成立。
1889年(明治22年)から五之上村の大字となるが、以後の変遷は不明[2]
富出村外新田受(とみでむらそとしんでんうけ)
江戸時代から1889年(明治22年)まであった村名。新川右岸、鎧潟郷下郷の低地上に位置する[3]
延享年間に開発の始まった御封印野新田の一部で、富出村外新田請けで開発された区域。
1889年(明治22年)から五之上村の大字となるが、以後の変遷は不明[3]
松崎村外新田受(まつさきむらそとしんでんうけ)
江戸時代から1889年(明治22年)まであった村名。新川右岸、鎧潟郷下郷の低地上に位置する[4]
延享年間に開発の始まった御封印野新田の一部で、松崎村外新田請けで開発された区域。1751年(宝暦元年)に検地を受けて成立[4]
1889年(明治22年)から五之上村の大字となるが、以後の変遷は不明[4]
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脚注

参考文献

関連項目

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