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五人廻し

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五人廻し』(ごにんまわし)は、古典落語の演目。廓噺に分類される。

明治の落語速記雑誌『百花園』(1889年 - 1900年ごろ刊行[1])には、『小夜千鳥』(さよちどり)の演題で禽語楼小さんによる口演が掲載されているという[2]。明治末期から大正1910年代)に、初代柳家小せんが、今日の演出を完成した[要出典]6代目三遊亭圓生は小せんのスタイルを受け継ぎ[2]5代目古今亭志ん生も小せんから教えられている[要出典]

1940年9月に当時の講談落語協会が警視庁に届ける形で口演自粛を決定した禁演落語53演目に含められた[3][4]

あらすじ

関東遊廓には「廻し」という制度がある。一人の遊女が一夜に複数の客の相手をするのであるが、遊女の嫌な客になると長時間待たされたり、ひどいのにはちょっとしか顔を見せない「三日月振り」や、全く顔を見せない「空床」「しょいなげ」、来てもすぐ寝る「居振り」などがあるので、客はたまらない。しばしばもめ事が起こってしまう。

そんな客の苦情を一手に引き受けるのは、「若い者」「妓夫太郎」(ぎゅうたろう)と呼ばれる男性従業員である。吉原のある遊廓、遊びは終わって、客と遊女が床にはいる大引け(午前2時ごろ)も過ぎたころ、若い者は、客たちからお目当ての遊女が来ないと文句を言われて四苦八苦である。

一人目の客からはさんざん毒づかれて、吉原の由来まで聞かされた揚句、「ぐすぐすしてやがると、頭からかけてかじっちゃうぞっ!!」と一喝される。

「少々御待ちを願います。ええ、喜瀬川さんえ」と汗だくになって遊女を探しているが、二人目の客に「ちょいと廊下ご通行の君」と呼ばれる。今度は薄気味悪い通人で、ねちねちと責められ、「君の体を花魁名代として拙に貸し給え。」と迫られ、焼け火箸を背中に押しつけられそうになる。

ほうほうの態で逃げ出すと、三人目の客に捕まる。権柄づくの役人で「小遣!給仕!」と呼ばれ、さんざん文句を並べて「この勘定書きに、娼妓揚げ代とあるがね。オイ、こら何じゃ。相手が来んのに揚げ代が払えるか。法律違反じゃよ。」と責められる。

「へえ。お待ちくださいまし。」と逃げだせば、四人目の客が「若けえ衆さあん。若へえ衆さあん。ちょっくらコケコ!」と呼んでいる。「だね。どうも。・・・へい。何でげす。杢さんじゃありませんか。」見れば馴染みの田舎客である。

だが、この田舎客も前の三人と同じ苦情を並べたて「ホントにホントにハア。ホントにイヤになりんこ。とろんこ。とんたらハア。トコトンヤレ、トロスク、トントコオ。オウワアイ!」と意味不明の叫びをあげて若い者を呆れさせる。

そんな騒ぎをよそに遊女の喜瀬川はお大尽と遊んでいるが、若い者の知らせにお大尽の方が気にして「おい。花魁。どうも困ったことじゃな。ワシが揚げ代を他の四人に渡してやるちゅうに、帰ってもらうべえ。」「じゃあ、わちきにもお金をくんなまし。」「お前に銭こ渡してどうする。ほれ。」「ありがと。じゃ、このお金を主さんに上げますから、四人と一緒に帰ってくんなまし。」

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バリエーション

6代目三遊亭圓生は、前記の落ち(サゲ)が「あまりピンとこない。いちばんおかしいところで切った方がいい」「サゲを演(や)ると地味になって損をすると思う」という理由で、この落ちを用いていない[5]。圓生の口演で、は田舎者の客(これを五人目とする)が怒って騒ぐところで「『五人廻し』でございます」と言って終わる形である[6]

6代目圓生によると、古くは人数を増やした『七人廻し』という演目もあった[7]。また、最後に力士が出てきて「関取は花魁には叶わない」と言われ、その理由を尋ねると「まわしをとられてふられております」と落とす演じ方もあったという[5]

歌舞伎化

歌舞伎に取り入れられ、澤村宗十郎の家の芸である『高賀十種』の一つにある『百人町浮名読売』(1852年初演)に「五人廻しの場」として噺がそのまま演じられる[要出典]

脚注

参考文献

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