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今堀誠二
中国史学者、原水爆禁止運動家 ウィキペディアから
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今堀 誠二(いまほり せいじ、1914年10月27日[1] - 1992年10月9日[2])は、中国史学者、原水爆禁止運動家。別号は砂鏡[3]
経歴
- 出生から修学期
大阪市で生まれる。広島高等師範学校から、1936年、広島文理科大学東洋史学専攻に入学[4]し、1939年に卒業[5]。
- 中国史研究者として
卒業後は、広島文理科大学副手に採用された[6]。1943年に講師、1945年に助教授昇格。1949年に広島文理科大学が広島大学に包摂されたことに伴い、以降広島大学助教授。1950年、学位論文『中国封建社会の機構』を広島大学に提出して文学博士号を取得[7]。1951年に教授昇格。1972年からは教養部長を務めた。1977年に広島大学を定年退官し、名誉教授となった。その後、広島女子大学学長に就任[8]。
受賞・栄典
家族・親族
著作
- 著書
- 『北平市民の自治構成』文求堂 1947
- 『中国の社会構造:アンシャンレジームにおける「共同体」』有斐閣 1953
- 『中国封建社会の機構:帰綏(呼和浩特)における社会集団の実態調査』日本学術振興会 1955
- 再版 汲古書院 2002
- 編著
- 『中国へのアプローチ:その歴史的展開』編、勁草書房 1983
- 論文
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脚注
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