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今川状

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今川状(いまがわじょう)とは、遠江今川氏堀越氏)の祖とされる今川貞世(了俊)が応永19年(1412年)、養子で弟の今川仲秋に与えた指南書である。別名は今川壁書という。

遠江での仲秋の政治が悪いため、了俊が弟を諌めるために家訓22条を送ったのが今川状とされる。前半は箇条書きの漢文、後半は平仮名交じり文の説明書きで構成され、前半は政令を行う者の心得、後半は解説・奨励の文になっている。しかし、今川状には内容に誤りがあり(応永19年の遠江守護は斯波氏で仲秋ではない)、年代も信憑性が無いため了俊の著作とは認められていない。今川状は江戸時代に流布したが、条目が1つ増えて23条になる、平仮名交じり文が漢文に書き改められるなど変化していった[1][2]

主に内容は書の手本書であるが、その意味は深く、人生における教訓論や治世への心構え、君主の姿勢等、謂わば帝王学を示す物であり、道徳の手引きとして後世にも広く親しまれた[2][3]

江戸時代では今川状を骨子にする道徳教科書が広まり、寺子屋をはじめ学問所で多くの者に愛読された。また、今川と言えば『今川状』を示す代名詞ともなったという。他にも『女今川』や『万民今川』といった姉妹書もある[4][5]

了俊の著作とされる武芸の心得を示した『今川大双紙』(群書類従所収)があるが、今川状と同じく後世の作品として否定されている[6][7]

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脚注

参考文献

外部リンク

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