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今渕氏

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今渕氏
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今渕氏(いまぶちし)、また今淵直之丞家(いまぶちちょくのじょうけ)は南部藩士、士族であった日本の氏族。

本貫地は陸奥国津軽郡外ヶ浜村、今淵村。初代今渕政明は浪岡氏に仕えていたが、後に南部信直に仕官した事で南部氏の家臣となり、明治まで存続した。維新後は当時の当主である今渕政徳が岩手中学校教師となり、また育英事業団体北水社にて書記、次いで副社長として活動した。

概要 今渕氏, 本姓 ...

歴代当主

  • 今渕将監政明(?年~?年)
  • 今渕半九郎政慶(?年~1601年)

今渕政明の子。1601年和賀・岩崎陣にて戦死。知行300石。

  • 今渕半九郎政且(?年~?年)

今渕政慶の嫡男。二戸郡上斗米村他に百六十六石を知行。

  • 今渕半九郎成豊(?年~?年)

今渕半九郎政且の実弟。切添新田を加増され知行二百石となる。以後、今渕氏は知行200石で確定。

  • 今渕半之丞正武(?年~1683年5月8日)

今渕半九郎成豊の子。小納戸を勤め、天和三年死去。

  • 今渕半九郎常正(政賢とも。?年~1695年10月4日)

今渕半九郎正武の子。徒頭を勤め元禄八年死去。

  • 今渕十郎左衛門矩忠(?年~1747年)

毛馬内安右衛門定房の二男、母は今渕常正の姉。徒頭、長柄奉行、御者頭、宗門奉行を勤め延享四年死去。

  • 今渕左市左衛門矩般(?年~1792年)

今渕十郎左衛門矩忠の次男。御側役、御者頭、屋敷奉行を勤め寛政二年隠居、同四年死去

  • 今渕弥助庸長(?年~1814年)

御側役、奥使を勤仕の後、五戸通代官、毛馬内通代官、野田通代官、福岡通代官、田名部通代官、七戸通代官を勤め、また宝蔵院流鎌術を安宅郷助に師事。後年同流師範となり古沢忠助康命に流儀を継いだ。文化十一年死去。

  • 今渕左市左衛門政識(?年~1854年)

庸長の跡を継ぎ安俵高木通代官を勤めた。宝蔵院流鎌術を古沢康命に師事して同流師範となり、流儀を金矢又四郎光春に継いでいる。天保十二年に隠居し、嘉永七年死去した。

  • 今渕半九郎政応(?年~1858年)

今渕左市左衛門政識の三弟。御附役、大槌通代官、毛馬内通代官を勤めた。宝蔵院流鎌術を金矢光春より請けて同流師範となり、安村順左衛門にその流儀を継ぎ、安政五年死去した。

  • 今渕直之丞政節(?年~1879年)

毛馬内伴治の次男。安俵高木通代官を勤め明治四年隠居、同十二年死去した。

  • 今渕練八郎政徳(1849年~?年)

政節の跡を継いだ政徳は、明治十年の士族明細帳によれば、仁王小路五十四番屋敷に在住と記録されている。 また、明治4年盛岡藩士族書上帳には祖父今淵半九郎 附役、代官、父今淵篤男、代官、元高200石、今淵練八郎、末21歳、明治3年世帯主と記載がある。 他にも同資料に明治4年1月24日家督、同3年7月12日盛岡県貫属士族被仰付と記録されている。

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参考文献

近世こもんじょ館 きろく解読館 平士以上リスト 今淵直之丞家 []

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