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伊甚稚子

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伊甚稚子(いじみ の わくご、生没年不詳)は、古墳時代上総国豪族伊甚国造カバネ

概要

日本書紀安閑天皇元年(534年)4月1日条によると、内膳卿膳臣大麻呂に珠(真珠)を求められたが、に詣でるのが遅れ、期日までに珠を献上することもできなかった。このため怒った膳臣大麻呂に捕らえられて尋問され、恐れて春日皇后の寝所に逃げ込んだ。これが皇后を驚かすはめになり、みだりに後宮に入った闌入罪も加わり罪科は重大であった。稚子らは贖罪を請い、春日皇后に伊甚屯倉を献上したという[1]

なお、当時は名前に「子」が付くことは、特にめずらしいことではなかった(例:中臣鎌子、蘇我馬子小野妹子など)。

脚注

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参考文献

関連項目

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