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伴和曉

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伴 和曉(ばん かずあき、1987年8月21日 - )は、山梨県出身のプロサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー(MF)[1]

概要 伴 和曉, 名前 ...

来歴

3つ上の兄の影響で3歳からサッカーを始め[2]、小学校1年生の時に1994 FIFAワールドカップの影響を受け本格的に取り組むようになった。

高校まで横河武蔵野FC[注 1]でプレー。同期には常盤聡及び阿部拓馬がいた。仙台大学では学内のサッカー部に所属。

2011年に大学を卒業し、中国国費留学生として上海体育学院へ進学[3]。一度は経営者の道を考えるもサッカーに対する想いを断ち切れず、一念発起[4]

大学院を中途退学して単身渡欧し[2]、東欧各国で練習参加[5]。2012年から2013年にはエストニアJKタリナ・カレフ及びポーランドアルコニア・シュチェチンに所属した。

2013年10月、立ち上げ1年で2部リーグ優勝を果たした、カンボジアのトライアジア・プノンペンFC[注 2]へ合流。1部リーグを賭けたプレーオフでは、存在感のあるプレーで1部リーグ昇格へ大きく貢献、木原正和と共にトライアジア・プノンペンの中核的存在として活躍。スピードのあるパスワークや素早い判断力、的確な指示と粘りのあるフィジカルでチームを牽引した[6]。2015年、同リーグ強豪のナガコープFCへ移籍[1]

2016年、英語及び中国語通訳としてFC東京に加入[7]

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人物・エピソード

  • 大学生時代に、当時の友人らと学生団体Sun Shineを立ち上げた。『あなたの志に火を灯す』を理念に、代表として尽力した[8]。自らも就職活動を行いながら、就活生向けのセミナーを企画・運営しており、東北楽天ゴールデンイーグルスインターンシップをしていた経験もある。現在その団体は、非営利団体ライフワークリンクとなり、後輩に活動が引き継がれている。
  • 中国滞在中は、南京にある村へボランティア活動をしに行ったり[9]、子どもたちにサッカーを広める活動も行っていた。友人と共に、オブリガードサッカースクール蘇州校の前身であるFILLサッカースクールを展開し[5]、コーチとして指導にもあたっていた。訪中する度にスクールへ顔を出しており、子どもたちからは「伴コーチ」として親しまれている[10]

所属クラブ

ユース経歴
  • 1994年 - 1997年 関前FC
  • 1998年 - 2006年 横河武蔵野FC[注 1] Jr/Jrユース/ユース
  • 2007年 - 2010年 仙台大学サッカー部
  • 2011年 中華人民共和国の旗 上海JF (FCゲッツ・ロンタン)
プロ経歴

脚注

外部リンク

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