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佐伯田公

奈良時代~平安時代初期の讃岐国の豪族 ウィキペディアから

佐伯田公
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佐伯 田公(さえき の たぎみ)は、奈良時代から平安時代初期にかけての官人播磨国造の一族で、多度郡擬大領・佐伯男足の子とする系図がある。官職多度郡少領

概要 凡例佐伯田公, 時代 ...

経歴

讃岐国多度郡豪族であったが、子の真魚(のち空海)を中央官人にするため、妻の実家である阿刀氏の一族であった阿刀大足の尽力によって、大学寮明経科に入学させる。しかし、真魚は仏門の世界に入ることとなり、田公は憤慨したという。その弁明として真魚が書いたのが、『聾瞽指帰』である。

佐伯直の一族からは、宗教家が多く輩出され、真言宗の発展を支えた。

系譜

  • 父:佐伯男足[2]
  • 母:不詳
  • 妻:玉依御前 - 阿刀大足の娘(または妹)
  • 生母不明の子女
    • 三男:真雅(法光大師)(801-879)
    • 四男:
    • 男子:佐伯酒麻呂[3] - 正六位上
    • 男子:佐伯魚主[3] - 正七位下
    • 長女:

『弘法大師弟子伝』によれば、酒麻呂は書博士を務め、同族である実慧の儒学の師であったという。

    • 智泉(789?-825?) - 長女の子
    • 真然(?-891) - 四男の子
  • 親族
    • 円珍(智証大師)(814-891) - 空海の甥とされる

脚注

関連項目

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