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佐藤子之助

日本の陸軍軍人 ウィキペディアから

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佐藤 子之助(さとう ねのすけ、1876年明治9年〉9月23日 - 1947年昭和22年〉4月27日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将大分県中津市長[1]

経歴

大分県出身。1899年(明治32年)11月、陸軍士官学校(11期)を卒業し、翌年6月、歩兵少尉に任官。1911年(明治44年)11月、陸軍大学校(23期)を卒業し、第10師団参謀となる。

1921年(大正10年)6月、歩兵大佐に昇進し、同年7月、近衛歩兵第2連隊長に就任。1922年(大正11年)8月、第1師団参謀長に転じた。1923年(大正12年)2月、陸軍省人事局補任課長となる。

1925年(大正14年)5月、陸軍少将に進級し陸大教官に就任。1926年(大正15年)3月、歩兵第12旅団長に転じ、1927年(昭和2年)7月、台湾軍参謀長となる。

1930年(昭和5年)4月、留守第16師団長に就任。同年8月、陸軍中将に進み、1931年(昭和6年)8月、第7師団長に親補された。1933年(昭和8年)8月に待命、そして予備役編入となった。

その後、1942年(昭和17年)から1946年(昭和21年)まで中津市長を務めた[1]。市長退任後に公職追放となり[2]、追放中の1947年に死去した。

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栄典

位階
勲章

脚注

参考文献

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