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依田銈次郎

日本の政治家、官僚 (1860-1933) ウィキペディアから

依田銈次郎
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依田 銈次郎(よだ けいじろう、1860年8月26日万延元年7月10日[1] - 1933年昭和8年)9月28日)は、日本の弁護士内務官僚政友会系官選県知事

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依田銈次郎

経歴

篠山藩士・依田秀実の長男として同藩江戸藩邸[2]で生まれる。1876年に上京して芳野金陵塾や二松学舎に通った[3]。一時帰郷後再び上京し、講法学舎に入ったが、舎監大岡育造と対立して退学し、斎藤孝治らとともに明治法律学校に入学[3]1882年、同校を卒業し代言人(弁護士)となり、自由民権運動に参画。

1894年、富山区裁判所判事となり、宮津区裁判所判事に異動。1898年宮崎県警部長に転じた。以後、福島県警部長奈良県警部長高知県警部長山口県警部長山口県事務官第四部長、新潟県事務官・警察部長、石川県事務官・内務部長、東京府事務官などを歴任。

1912年3月、群馬県知事に就任し、同年12月に退任。1913年4月、長野県知事となり、1914年4月まで在任。1917年12月、山形県知事となる。米価の高騰、暴落への対応に当った。1921年7月、広島県知事に就任し、1922年10月まで在任し退官した。

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栄典・授章・授賞

位階
勲章等

脚注

参考文献

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